「整骨院からのあれこれ」カテゴリーアーカイブ

No1ネガティブ

今回は予告どおり、今月行った瞑想のセミナーについての投稿。

前回の記事の最後あたりに書いた

「新しい展開」

というのも実は、このセミナーでの副産物。

一つの体験が波となって、「わたし」という存在の全領域に変化を引き起こしたようであります。

このセミナーの特性は

「OSHO」

という指導者の教えに従った内容、ということになるのかもしれない。

でもワタクシは、そこには今のところ興味がなくて、純粋に瞑想とそれに関するワークに取り組んできたということであります。

ただ、参加者の何割かを占めていた、「サニヤシン」と称するOSHO氏の考えに賛同する人たちが興味深いというのも否定できないところ。

そしてタオイストジャパンと今後も関わる中で、知らないうちにOSHO氏の思想がワタクシの中にも根付いていくかもしれない。

ワタクシは会ったこともない「ラマナ・マハルシ」の教えによって、ここまで進んできた者であります。

会ってはいなくても、それは「縁」というものなのかもしれない。

マハルシ氏の、あまりにも明確な教えと比較すると、OSHO氏の教えは核心を理解するのに少し時間がかかりそうな印象。

両者の教えの核心に違いがあるのかどうか。

それについては、今後書くこともあるかもしれない。

さて今回のセミナーでとても深い体験ができたワークは

「2人一組になって、自分自身へのネガティブな認識・評価をすべて相手に話す」

というものであります。

考えてみれば、自分に対して持っているネガティブな思いを誰かが打ち明けて聞かせてくれたことはあまりない。

なぜってそれは、少し考えればわかる。

誰だって、自分の一番痛い所の話はしたくないのであります。

でもあえて、それをやる。

最初にワタクシが話すことに。

ワタクシのネガティブでまず最初に思い浮かんだのは

「外見が受け入れられない」

であります。

25年以上今のような外見で生きているワタクシでありますが、未だに慣れることがない。

というか、受け入れ不可能。

そこには説明は不要であります。

次にでてきたのは

「やさしくない」

であります。

おそらくワタクシよりもっと優しくない人間は少なくないと客観的には思う。

でも、自分自身への評価は誰かとの相対評価じゃない。

自分の発する言葉の中に、「やさしさが足りない」を感じることが結構あるのであります。

「やさしさ」は人にとって、一番大切な要素だとワタクシは考える。

でもそこが足りていないのであります。

変えようと思っても、なかかな変えられないのが人間でありますね。

その次は

「賢くない」

ワタクシは賢さにヒジョーに興味をもつ人間であります。

そういう意味で、しょうもない奴であります。

昔自分が賢いと思っていたのに、絶対に負けないと思っていた学友にも受験で負けたのであります。

そのショックは未だに続いているようであります。

ホンマにしょうもない。

ということで、他にもいろいろとネガティブな評価はでてきたのであります。

しかしワタクシの場合、思ったよりはネガティブは出てきませんでした。

ワタクシの頭は、普段あまりネガティブな方向には意識が行かない性質なのであります。

そして、相手の番になりました。

ワタクシは自分のことを話し終えたので、やれやれの気分でした。

でも。

相手の人が話を進めるうち、その内容に

「なんて可哀そうなんだろう」

と心底思いました。

そしてその内容から考えて、その人のネガティブはワタクシのような性質の人間が作り出しているとしか思えませんでした。

そう思うと、涙が止まらなくなりました。

このワークは知らない人同士でやるのが前提のようですが、ワタクシの相手の人は以前にも会ったことがある人でした。

その人が、自分のことをそんな風にネガティブに考えているとは思いもよりませんでした。

目の前の人が心の中に傷を負って生きている。

それを本当にリアルに感じたのは初めての経験だったような気がします。

他の人からの攻撃よりも、自分自身への攻撃が一番抗いがたいものなのであります。

このワークの後、張りつめていた自分の中の何かが、消え去ったように感じます。

お互いが、相手に弱みを見せずに、平気そうな顔をして生きる世界。

それが今の日本のような気がしてきました。

なんてしょうもなくて、表面的で、おろかな社会なんでありましょう。

そしてその社会の、確固たる構成員のワタクシ。

いえむしろ。

ワタクシこそがバリバリの構成員なのであります。

でも、それは幻の世界だとはっきり認識しました。

それがとてつもないインパクトでもって「解った」ことであります。

このワークで、すぐに感じ取ったのはそんな印象でした。

そのあとワタクシは、新幹線の中で考え始めていました。

自分が挙げたネガティブのうち、一番強いネガティブはどれだったのか、について。

そんなのは、実際には考えてわかるようなものではないので、

「あっちの人」

に聞いてみたのであります。

すると、挙げた中には一番がないことが分かりました。

じゃあ何が一番なのか。

ネガティブな自分への評価や決めつけは、何かの拍子に

「ネガティブな感情」

を呼び起こす、と考えられる。

そこで、自分が強い「不快感」を感じる場面から探っていくことにする。

ワタクシは、予約をころころ変える患者さんは嫌い。

何度も予約を変更されると、すごく憂鬱になる。

それがなぜか、自分でも分かっていなかったのであります。

普通の人なら特に問題視するような状況じゃない。

でも自分にとっては問題になる。

何かが、悪い気分を呼び起こしている。

この答えにたどり着くまでには、1時間以上かかったような気がする。

「あっちの人」に聞きながらの1時間だから、かなりいろいろな事を調べてやっと導き出したこと。

それは

「自分は必要とされていない」

だったのであります。

この潜在的なネガティブがあるから、そこにひっかかる事象は耐え難い。

これがワタクシのNo1ネガティブでありました。

ころころ予約を変える=軽く扱われる=必要とされていない

の図式。

ここにたどり着いたとき、なんだかもう、胸の真ん中を杭で貫かれたような

「そう、かぁ。。」

としばらく身動きできない感覚。

そういえば、その思いが刻み込まれた事件があった。

「自分は重要な役割を担っている」

と思っていた中学の部活動での出来事。

自分の行動のせいで、部が崩壊しかけたのであります。

その時にNo1ネガティブはしっかりと、刻み込まれてしまったようであります。

さらには、高校の部活でもこのネガティブを強化してしまう状況があったような。。

このNo1が自分にとっていかに大きな影響を与えてきたのかは、試しに

「No1ポジティブ」

を調べてみたときにはっきりしました。

それは

「自分のスキルは必要とされている」

だったのであります。

自分という存在が必要とされていないなら、スキルで必要とされるしかない

という思いの中で、これまでスキルを磨いてきたということであります。

自分のことながら、正直言ってすごく滑稽です。

そんな目的のために取り組んできたのが自分の人生なのか。

そしてそれだけじゃない。

スキルを重んじることはつまり、能力主義ということなんであります。

能力のない奴は価値なし、であります。

その認識がやさしさの欠如にもつながっている。

それがワタクシという人間でありました。

考えれば考えるほど、無駄なことに時間を費やしてきたように思える。

でも、悪いことばかりでもない、と思い直す。

このネガティブのおかげで、本来ならできない努力もしてこれたかもしれない。

No1ネガティブへの理解は、生き方を変える力を持っているように思う。

たぶんワタクシの生き方は、変わっていくのでありましょう。

それで、気功教室のみんなにも、No1ネガティブを探してもらった。

ワタクシの便利な検査で、言葉にしなくても、心の中に思い描いている事柄がどのくらいのネガティブなのか分かるのであります。

やはり、No1ネガティブが自分で分かっている人は少ないようであります。

どんな人にとっても、No1ネガティブを探すことには大きな価値があるでしょう。

ネガティブの正体が分かればそれだけで、その影響力はすごい速さで小さくなってしまうようであります。

教室では、お互いに自分のネガティブを言い合うワークはしませんでした。

「自分を変えたい」という思いが強くなっている人が取り組めるワーク。

他人に自分のネガティブは明かしたくない、という人には向かないでしょう。

でもネガティブは幻のようなものです。

誰かに言ってしまったら楽になります。

そんな機会がみなさんに訪れるよう願っています。

セミナーでは、もちろん瞑想もやりました。

でも特別なものではありませんでした。

あと、「OSHOカード」というものを1人1枚選んで、その意味を先生に聞きました。

そのあたりのことや、記事の出だしで書いた

「新しい展開」

については、次回にでも。

気が変わらなければ。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

足掻く者

先日、半年に一度の「気功教室の飲み会」をしました。

一緒に話す人数が多くなれば、二人で話していても出てこない人柄の一面がはっきりとでてきたりする、と感じます。

そんなときにも、どんな風に振舞うのか、「いつものやり方」というのがありますね。

「いつもの」とはつまり、慣れたやり方、無難な振舞であります。

もちろんそれでいいでしょう。

でも、自分自身を「変える」のを目的とするなら、やったことのない振舞いをしてみるべきでは、と思います。

でありますから今回は、

1 あまり話をしない人にはもっと話すように
2 話をしすぎる人には話を控えるように
3 どちらでもない人にはあまり話をしない人に話を振るように

言ってから会をスタート。

誰が1~3のどこに属するのかも調べたので、みんなに伝えておきました。

考えてみれば酷い飲み会であります。

単なる実験?

それでも結構うまくいったのでしょうか、3時間経ってもだれも帰りたそうな素振りなし。

ワタクシ自身は話をしない人が気になる性分で、特に教室の飲み会だと自分がしゃべりすぎなので2の分類ですが、酔ってきたら結局しゃべってしまったので意味がなかったようであります。

終わった後に聞いてみると、分類1の人でやっぱりあまりしゃべれなかったという人がいました。

個人的な見解ですが、どんな人も多く話した方が満足する、と思います。

でも、なにかが邪魔して話せない。

ワタクシのように話しすぎる人は、ある種の病の様に話し続ける。

そして3に該当する人でも、話せる内容に偏りがあるかも。

いつも話さないような内容こそ、話したくないような内容にこそ、話す「意義」があるかもしれません。

さてワタクシがいたテーブルでは

「本当にやりたい事はなにか」

について話していました。

自分自身を知ることは、意外にむつかしい。

一見明らかな目標がある人でも、その目標に向かっての取り組みが上手く進められないことがあります。

頭では分かっていても、行動が伴わない。

それがなぜなのか、飲み会の後に調べてみました。

教室のメンバーについて、心理の深い部分で

「足掻いているのかいないのか」

をみてみる。

ここでの「足掻く」の意味は心理面の苦痛というより、現状を変化させたいという欲求があるかどうか、強いのかどうかのことであります。

この「足掻き」がなければ行動を起こすための「原動力」がないので、自分自身の取り組みで理想とする状況へと近づくことは、おそらく不可能。

心理の深いところで現状に満足、あるいは受け入れているのであります。

それなのに世間の常識とか周りの人たちの意見もあって、現状でよしとは思えない場合もあるでしょう。

うちの教室では、人生ですでに一定以上の成功や満足を得ている人が多いようで、強く足掻いている人は少数のようでありました。

足掻いているのなら、どこかに進んでいくでしょう。

ワタクシの場合は、今得ているスキルなどには十分満足しているのでありますが、まだ足掻いているようであります。

でも、どこに向かおうとしているのかが自分でも分からない。

分からないけど、現状はなにかが「しっくりこない」。

でありますから、まだ瞑想のセミナーに行ったり、研修で海外にも行ってみようと算段しているのだと思われます。

「足掻き」とそれによって喚起される行動。

それだけが目標や理想像に近づけるか否かを決める要素?

それを「あっちの人」に聞いてみると

「NO」

という反応。

それ以外に働いている力。

それはつまり

「天意」

なのだとか。

なにかに導かれるように進んでいく状況。

教室のメンバーにも天意に導かれている人が1人おられるようで、それにはビックリですが、あ~、あの人ならそうかも~。

本来足掻かないといけない人が、心理の深いところで足掻いていない場合、どうしたらいいのかという質問がありました。

どうでしょうか、何かの心理ブロックが「足掻き」出現を妨げているケースはあるかも。

それならばブロックをケアすることで足掻きだすように思われる。

が、かなりレアなケースのよう。

それよりも、足掻いていない人の現実世界の状況がかわることで足掻きだす、というのがよくあるストーリーだとか。

急に「天意」が働きだすこともあるかもしれない。

ワタクシが「足掻いていない」と言った教室のメンバーで、

「そんなことないです」

と否定した人は結構おられました。

私だって足掻いているんです、と。

まぁワタクシの感覚なのであるいはそうかもしれませんが、足掻いていることに対してリアルな行動を起こしているのかどうか。

起こしていないのなら、足掻きの度合いはさほどでもないのでしょう。

「足掻き」が強いのなら、行動を起こさざるを得ない、行動は必然的に起きてくるものだからであります。

でも「足掻いていない」ことは幸せなことではないでしょうか。

現状を深層心理で受け入れている。

日常を静かに過ごしている。

それは神の祝福?

足掻く人には、激しい取り組みを。

そうでない人には、静かな毎日を。

ということで、今後もたのみますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

で、あります。

いつ頃からなのか分からないのでありますが、何かが普通じゃない気がするのであります。

このひと月くらいは特に、普通じゃない人にたくさん出会っているように思いますし、何かこう、運命の歯車が

「ぐ・・」

と動いているかのよう。

考えてみると、この日記を書いているときの

「であります」

表記もちょっと変、というか尋常とは言い難い?

何年か前の投稿だと、そういうのは使っていませんでした。

なぜかその書き方がしっくりくる。

なんでだろ?と、ふと思って「はっ!」であります。

つまり、記事を書く時に「誰かの好み」の影響を受けている。

調べると、あぁ、ぬし様、あなたなのですか?

患者さんをケアしていると、たまーにだけ力を借りていたぬし様でありますが、最近は登場が激増。

あと不審に思っていたのが「人の声」への関心。

ある種の声になぜか凄く惹かれるのであります。

そんな傾向はかつては皆無でしたが、まさに気が付けばいつのまにか、なのであります。

それもぬし様の影響のよう。

それって正常?

ワタクシの神様事情は今後も変化していくのでありましょうか。

来られる患者さんにも神様仏様の守護を受けている人が多くなっているような。

かなり不思議な展開を見せている今日この頃であります。

そしてさらに先日、超ド級の人物が視界に入ってきた模様。

どんな人なのか、ワタクシとの相性はどうかなどを調べようとしたところ、

「分からない」とのあっちの人の反応。

であるならば陛下ご一家のようにブロックされているのかと思いきやそうでもない。

これはつまり、ワタクシの能力レベルを完全に超えている人を調べた場合の反応であります。

しかしそんな時に登場するのはワタクシ独自作成のアイテム

「意識最深度キープ君」

であります。

キープ君の力を借りれば、通常では不可能な検査も可能なのであります。

その結果

「あーヤバい。こーれはヤバい。超ヤバい。」

な御仁であるよう。

でもたぶん、お会いすることは可能、のよう。

かなりクローズドな会を開催されているようなので、この人のことは今後、書けないかもしれないのでありますが、あしからず。

さしあたり、どんな訓練でそんな領域まで駆け上がったのかをお聞きしてみたい。

というのは、ワタクシもいろいろな能力者を見てきているので、単に生まれつき感覚がよかったというだけの人と、何かの取り組みで能力が上がった人との違いくらいは分かるのであります。

今回の人の領域には、すごくセンスに恵まれた人でも特別な取り組みをしない限り到達不可能。

ワタクシのような、元々何の感覚もなかった人間にはとても興味深い人物であります。

さて、「愛の秘力」について、さらに調べています。

「尾骨」など他の秘力の場合は、その力は単体で機能しているようでありますが、「愛の秘力」だけは違うように思われます。

この秘力を担うのは胸骨体かその内側の組織と思われますが、そのちょうど背中側が開いていないと、どうやっても愛の秘力は開かないようであります。

「背中側」が映し出すものは

「自分自身の心を開けられるかどうか」

であるよう。

ここがほんの少しでも開いていれば大丈夫ですが、完全に閉じている、ゼロの場合は対処が必要であります。

自分自身を完全に閉じているとはどういうことなのか。

これは表面的なコミュニケーションとかの話ではなく、7層目の意識領域での話なので、凄く社交的な人でも閉じている場合が少なくありません。

じゃあなぜ閉じたのか、であります。

調べてみると、子供のころに完全に閉じている人は今のところなし。

ならばいつのタイミングなのか。

ほとんどケースは

「結婚生活の中で」

つまり、結婚相手とのやり取りの中で、ということであります。

実際にワタクシの検査でそう感じた人に、結婚相手との関係性をお聞きすると

「心が通じ合っている」

と答えた人は今のところおられないのであります。

「結婚生活は、修行」

とおっしゃった方もお二人おられました。

なんてことでしょうか!

かなり前の記事でも書いたとおり、結婚運が低い人の場合、良い結婚生活をおくることはできないようであります。

でも、心が深い領域で閉じる原因となった相手が分かれば、石でのケアで解決は可能なようで、現在ニューアイテム作成中であります。

お二人の心を同時に開くことができれば、おそらく夫婦生活自体が激変するでしょう。

そしてついでに愛の秘力も開いて能力もアップ、という算段であります。

このあたりの研究はひじょーに上手くいっているのであります。

これも何かのご加護でありましょうか。

世の中のためになる研究は、進みやすいのかもしれません。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、ぬし様、名前のない神殿!

身体機能の「核」

生霊というものがあります。

生きている人からの攻撃的思念をそう呼ぶようであります。

いろいろなエネルギーに詳しくなってきているので、そういうものも判別可能になってきているワタクシなのであります。

人のエネルギーを領域で分けると、

身体のエネルギー・身体以外のエネルギー

と二分できます。

通常のケアなら、どっちかの領域に

「ケアしておくれ」

という反応が出ています。

生霊からの影響が強い場合、そのどちらにも反応が出ていない。

ちょうどその「間」に反応がでている。

エネルギーのルートなら、「中脈」に反応が出ている。

が、対処不可能。

かつて助けてあげられなかった患者さんにも、生霊で体調を崩している人もいたんだなと、今ならわかるのでありますが、今でも対処方法がわからないので、どうにもできない。

本当にこまったものであります。

生霊の場合は、自分が相手に対して持った念も、自分にダメージを与え続けるようでありますので、気を付けましょう

生霊ではなく、ストーカー被害で困っている人なら対処可能。

被害者と加害者の「何か」が噛みあっているようで、それを「石の力」で変化させてしまうと、あっさり解決。

ただ、元夫婦とか関係が濃い場合はダメなケースもあるみたい。

人間の関係性は、人をどの方向に進ませるのかについて、とても大切ですね。

ソウルメイトや赤い糸、何かの「ひも」など、とても神秘的に働いています。

さて、前回書けなかった内容。

少し前の投稿で、

「霊的エネルギーを感じ取るには視床下部の霊的活動が必要」

といった話をしました。

そのあたりのことを調べていた時のことです。

霊的活動がどのくらいかを調べる。

視床下部の場合、普通人はゼロ、上限はなぜか分からないけど1.7。

つまり下限はゼロ。

なのに「マイナス」になっているケースを発見。

霊的活動度を調べているのに、マイナスとは一体?

霊的活動度を調べていたはずが、どうやら肉体面がマイナスの場合はそっちの数値を感覚してしまうようで、であるなら治療が必要なのかと思って、あっちの人に聞くと「NO」。

それはそうでしょう。

脳幹が本当にダメージを負っていたら、重篤な状態になるでしょうから。

であるなら、他からの影響かと聞くと「YES」。

結論からいうと、「鞍隔膜」という頭のど真ん中にある、横隔膜の超ちっこいような組織の影響によるものでありました。

オステオパシーをやっている者なら、この組織のケアは常識の範囲であります。

でも、施術対象にあまり上がってこない。

脳幹内に「マイナス」の反応がある人の場合にも、普通に調べていると全然施術対象にならない。

なぜだろうと思って調べていて分かったのは、この組織は左右で分かれている、ということ。

脳幹に「マイナス」の数値を検出してしまう人の場合、鞍隔膜のどっちかが動いていない、というか感覚的には引っ掛かっているような印象。

一方が引っ掛かっていても、両方をまとめて調べるとさほどわるいという判断にならないので、施術対象になりにくい。

鞍隔膜のこの、一方が固まっているような状態をケアするのは、普通の施術者ならかなり難度が高そうであります。

が、全部を感覚的にやっているワタクシには、ちょっと面倒で時間もかかるけど対処可能であります。

で、ここを動かすとどうなるのか。

それはもう、「あらやだ、治っちゃった?」級。

といいますか、ここが動いていない人は身体の治癒力がとても弱くなる。

だからケアは必須。

でも今まではそれが分かっていなかったので完全放置。

これまでの方法で頑張ってもなかなか改善していかない、治りきらないような人は100%ここに問題を抱えていたので超びっくりであります。

なんだそうだったのか、であります。

そのあとも色々としらべていたのでありますが、解剖学的に知られていない部位にも、同じような種類の問題を抱えてしまう組織は多数あるようで、そのうちのいくつかは特に全身の状態への影響が極大。

そしてまた凄く驚いているのは、脳梗塞や認知症を患ったり、知的・発達障害の人の本当に100%が、鞍隔膜に大きな問題を持っていること。

これはやばい情報であります。

いままでにもしょっちゅう

「画期的発見」

とか言ってきたのでありますが、今回のはちょっと、規格外。

この知見をもとに施術すると、通常ならすごく難しそうな症状とか体調でも、とても力強く回復させられてしまうようであります。

ただまぁ、身体の中の触れない組織をかなり詳しく調べられる感覚がないと使えない手法であることと、ここへのケアをすると疲労が凄まじい。

少し前まで

「施術しても全然疲れない」

とか豪語していたワタクシでありますが、愚かな認識。

身体にとって非常に重要な組織へのケアには、大きな労力が伴うようであります。

一言でいえば、必要とされるエネルギーの質が違う。

組織の状態を調べる段階でも、骨とか臓器を調べるのとは段違いに高感度が必要。

オステオパシーの大御所レベルの人の中にも、本人がここに問題を抱えているのに気が付いていない人がいるくらいであります。

今回の発見で、ワタクシの施術はすごく変わりました。

そして施術時間が長くなってしまい、結構疲れています。

近いうちに施術料金は上がってしまうでしょう。

当院に来るかどうか迷っている人がいれば、どうぞお早めに。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

能力

今月の5日に、タオイストジャパンのダンスと瞑想イベントがあったので、名古屋まで行ってきました。

前日の4日には大阪でも開催されたのですが、土曜日は仕事なので、うちの教室の参加者と患者さんに参加して頂きました。

お二人のイベント後のエネルギー状態を調べると、予想通りの変化が起きていました。

つまり、「愛の秘力」が働き始めていました。

もちろんお二人にそのような変化が出やすい素質はあったのは当然でありますが、自分一人での取り組みでは、おそらくどんな高度なエネルギーワークでも成しえない成果が得られたのであります。

ワタクシも名古屋の会場にお邪魔して、踊っていろいろなものを発散しながら、イベントのといいますか、タオイストジャパンの目指す方向性のようなものを感じていたのであります。

気功の練習といえば、健康の維持や自分との対話であったり、エネルギー操作の習得、感受性の向上、さらには能力の開発というのが、目的として意識されやすい項目であります。

とりわけワタクシの教室では、「能力」というものに最大の関心を寄せた内容に、主催するワタクシの興味に沿って進めてきているわけであります。

でも、そもそも何のために「能力」を得ようとするのかを考えると、ワタクシの場合は施術者でありますから、現実的に、能力がなければ患者さんに良いケアを提供できないから、ということになりますが、一般の人にとってはそうではないでしょう。

「幸せ」に近づくため、と大雑把に考えても良いように思われます。

人生を幸せに送って行きたい、有意義に生きたい、というのであれば、「能力」というものが一番大事だとは言えないのであります。

「幸せ」に近づくために一番必要なものは、おそらく

「自分が与えられているものに感謝できること」

ではないかと、ワタクシは思うのであります。

でもそれが、難しい。

難しいのは、他者との比較からなのか、他者との距離からなのか、自己への不満からなのか、分からないけど難しい。

その難しさは、何かの能力を得ても、おそらくほとんど、解消されない。

気功の練習をして、自分自身と向き合うことで、いくらか変化は起こるでしょう。

でも、まだまだ足りないところがある。

その足りない部分を、タオイストジャパンが提供してくれる。

他者との関係性を効率的に、そしてダイレクトに、変化させてくれる。

そしてその変化が、自分自身への向き合い方を変えてくれる。

そのような取り組みには、「能力」は不要。

というよりむしろ、弊害になりえる。

ワタクシは教室をやりつつ、徐々に疑問に思うようになってきているのであります。

「技術」とか「能力」を追求してきたワタクシは、素質のある人が大好きなのであります。

それはもうほとんど、病であるかのようであります。

でありますから、気功を指導しながらもつい、進歩の早い人とか、ポテンシャルの高い人に注目しがちなのであります。

教える側の人間として、ひどい奴であります。

それでも教室をやり始めた頃と比べ、すごく強い関心を持つようになったことがあります。

参加者の皆さんが練習の中で意識を集中し始めると、通常の時よりもずっと、その人の「在り方」のようなものを感じるのであります。

どんな人にも、本来の「素」の状態になるのを阻んでいる何かを感じます。

それが強い人ほど、日常の中でも「自分を自分で制限している」のではないかと、想像します。

一見理想的に生きている人の中にも、意外に強く感じる場合があります。

当然ながら、制限はワタクシにも残されています。

そんな制限を、教室の中の取り組みでうまく減らして行けばいいのではないかと考えています。

そして今作成中なのは、

「愛の秘力を開くアイテム」

でありまして、天然石5つの組み合わせで作れるようであります。

秘力だから結局能力じゃん、と思われるでしょうが、そうでもないのが愛の秘力の凄いところであります。

愛の秘力が働きだすと、とても深い領域の感受性が得られるからなのか、生きるスタンスにも影響を与えるように思われます。

ワタクシの場合には、テレビで何かのエピソードを聞いたり、良い文章や歌詞をみたりするだけで、すぐに涙が出てきそうになるのであります。

そして物事を判断する際の視野が広くなったようにも思うのであります。

他者の心を開きつつ、自分自身も開いた状態にしてくれる、それがおそらく愛の秘力なのであります。

自分と周りとの間の壁をなくしてしまう事は、自分自身への制限をとっていくためにも大切なステップになると思われます。

そのアイテムを想像しながら、教室の参加者一人づつにどのくらい影響を与えるのかを調べると、「愛の秘力」の開きやすさが分かります。

残念ながら、あまり影響を与えられない人も少なくないようでありますが、すごく強い影響を得られる人もいるようであります。

ま、そういうグッズも使いつつ、今以上に幸せを感じて生活できるよう、教室を進めていこうと思います。

今日は前回の「視床下部」を調べる過程で分かった、整体領域での画期的発見について、たまには施術者としての内容を書こうかと思ったのでありますが、全然違う内容になってしまいました。

その内容は次回にでも。

というわけで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

感覚を会得する

先日、気功教室の参加者から

「気をはっきりとは感じ取れなくて」

という感想を聞きました。

確かにそうであります。

それは結構、ではなくすごく、難しい課題であります。

実際どうでしょうか。

気功とかヨガとかやっていて、気をうまく感じ取っている人がどのくらいいるでしょうか。

とても少ないのではないでしょうか。

ワタクシも、なんとなくは分かるけど・・・、という状態が10年以上も続いておりました。

正確には13年くらい?

長い、長すぎる。

そんなワタクシが思うに、始まってまだ2年足らずの教室ですから、気を感じ取れなくても

「特に問題なし」

であります。

でも。

感じ取れなかったら楽しくならない。

どころかだんだん苦痛、忍耐になることも。

いつになったら?の忍耐であります。

ではどうするのか。

感じ取れる人とそうでない人の何が違うのか。

まず最初にそれを調べなくてはいけないでしょう。

そんな事くらいは、ある程度色々なことを感じ取れるようになった頃にも、調べてみたことがあります。

でも、分かりませんでした。

分からなかった理由は、そのころ検査に利用していたエネルギーは中脈のものでしたが、中脈以上に高度なエネルギーの領域については調べられなかったからであります。

そして今回、突きとめられたのであります。

霊能者も含めて人並外れてエネルギーへの感受性が高い人は、

「視床下部」

「霊的に」

活動しているようであります。

霊的にとは、通常の肉体的な機能とは違う活動の仕方で、という意味であります。

その活動量を調べると、感じ取れない人はゼロ、となりますが、すごく感度の良い人の場合、1.5以上となっています。

ま、ワタクシ独自のスケールですので、単位はありません。

若干感じ取れ始めているくらいの段階の人だと、0.01くらいです。

0.01だけどゼロではない。

けどゼロに近い。

ワタクシが中脈の利用の仕方を習う前、経絡の流れが正常かどうかくらいは見ただけで分かるようになっていた頃を調べると、0.1でした。

その頃は患者さんの身体のエネルギーを感じ取ろうと必死にやっていたのですが、手を介して感じとる場合、一番発達するのは視床下部ではなくて中脳。

感じ取っているエネルギーがほぼ肉体のものでありますから、低級なエネルギーを感じ取るのはは中脳、ということかもしれません。

中脳の霊的活動は1以上だったようであります。

整体とか手で仕事をやっている人の場合で、感度が凄く良い人は中脳が発達、霊能者的感性は視床下部、ということのようであります。

一般の人の場合、誰かを触って調べる機会はほぼないわけでありますから、視床下部を攻略しなければいけないでしょう。

さてどうするか。

視床下部がどんな質のエネルギーに最も反応するのかを調べると、6層目、となります。

通常の肉体のエネルギーが1層目、思考や感情のエネルギーが2層目、というあの概念のはなしであります。

ちなみに神智学の場合、肉体、エーテル体、アストラル体、・・などに分類しているわけでありますが、ワタクシの場合は7層に分けております。

6層目。

6層目のエネルギーで、身の回りにあるものといえば、ずばり言って「天の気」。

でありますから、天の気を感じ取る訓練をやればいい、ということになります。

あっちの人によると、天の気を感じ取る訓練だけをやっていれば能力の開花する人は1000人に1人くらいだとか。

おそらく、天の気を感じ取る訓練をしても、ほとんどの人は違うエネルギーに焦点があってしまうので、目的を果たせないのでしょう。

天の気が分かる人に、今焦点が合っている、合っていない、ということを確認してもらいながら訓練する必要がありそうです。

ちなみに、視床下部以外の部位でいろいろなことを感じ取っている人もおられるようで、それがどこかと言えば「秘力」発揮を担う部位であります。

つまり、
下垂体(といか本当はトルコ鞍との接点)
尾骨
恥骨結合
胸骨剣状突起
胸骨体
であります。

これらの部位の霊的な活動がMAXに達しているとき、それだけで常人離れした感度を発揮するようでありますね。

胸骨体に関しては「愛の秘力」でありますので、ここだけは格の違う力なのでMAXはありえないと思われますが、ここが少し働くだけで他のどこかの部位の働きがMAXになってしまうようなので、ここをなんとかして働かせるようにすることには凄く意義があると思われます。

シータヒーリングというやり方がありますが、昔必死に練習していた時期があります。

そのころの視床下部の働きを調べると0.03でした。

練習の仕方としては悪くない、かも。

天の気以上に高度なエネルギーも、もちろん存在しています。

でもなぜか、それらのエネルギーを感じ取れている人の中にも、視床下部の働きがさほどない人もいるようであります。

なぜか、天の気がベストなのであります。

エネルギーを感じ取る訓練というのは、なかなか攻略の難しい道でありますね。

でもなんとか、やりぬいて頂きたいと思います。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

「愛」の伝播

ワタクシは最近、新しい患者さんが来られた時とか、予約が入った時などに、その方の

「意識の広がり具合」

を調べています。

意識といえば、表に見えている部分、把握できている部分を「顕在意識」、奥に隠れている部分、通常把握できていない部分を「潜在意識」と呼んで区別しています。

気功の訓練をやっているとき、この「顕在意識」の領域が普段より広がっていき、潜在意識の中の比較的浅い部分を「顕在意識下におく」ような状態になると感じます。

気功の訓練を続けていると、この「顕在意識下におく」領域が、訓練をしていないときでも完全にはもとにもどらず、一部が広がったままになるようであります。

そして訓練の進行とともにその領域が徐々に大きくなっていく。

顕在意識下におくといっても、もともと潜在意識に含まれていた領域をはっきりと認識できるわけではありません。

が、その領域からの「なにかしら」の働きかけを感じ取りやすくなって、それが選択する行動を変化させたり、この世界ってこうだよね、という「とらえかた」に変化を生じさせたりするように思うのであります。

不思議ですが、ごく普通の人の中にも、気功などの訓練をしている人のように「意識が広がっている」人が結構おられるのであります。

その場合、「目に見えないものの力」の存在を、なんとなく疑わない世界観を持たれています。

信じてはいないまでも否定的ではない、といったスタンスの人が多いかもしれません。

そんな人であれば、ワタクシの施術は大抵上手くいきますし、長いお付き合いになることが多いようであります。

ワタクシの意識がどんどん広がって行っているからか、そんな人が患者さんとしてこられることが増えて行っているように思います。

あまりスピ系の方に偏らないようにとも思うのですが、今後どんな人と出会うのか、すごく楽しみなのであります。

さて今回は、「愛の秘力」についての新しい発見の話であります。

長野でのセミナーで衝撃的体験をした後も、ワタクシのエネルギーの流れ方はどんどん変化していっているのであります。

「心を開かせる」という作用が愛の秘力の特性でありますが、いつの間にやらワタクシのこの力も少し目覚めてしまっていたようなのであります。

調べてみると、幼少の頃のワタクシはこの力が少し開いていたようでありますが、長野に行くまでは完全に閉じていたのだと思われます。

おぉ!そうなのか、ということでうちの気功教室のメンバーを調べたところ、ワタクシと同じような状況の人を発見、であります。

ちょうど3月5日に大阪で、タオイストジャパンの1DAYワークショップ、

「ダンス&メディテーション」

があるので、そこへの参加をおススメした次第であります。

強力な「開く力」のもと、大きな収穫を得てきて頂きたいと思います。

さらにこの力は、生まれつきゼロの状態であっても、

「ソウルメイト」

がこの力を持っていれば、会っているうちに徐々に開いてくるようであります。

ワタクシの

「眠らず見ている夢の中」

だけで会うソウルメイトのこの力も、勝手に開いてきたようであります。

ソウルメイトの場合、影響を与えた側も力が増すようでありまして、夢の中の人のおかげで、ワタクシの力も少し増したということになります。

そして一定以上のこの力のある人の場合、ソウルメイト以外でも「かすかに開いている人」に対しては、もう少しだけ開いてあげられるようなのであります。

これは凄く面白い力ではないでしょうか。

この力を強く保持している人がほとんどいないのは残念だとしても、「ソウルメイトの組み合わせ」と「能力保持者」をうまく探し出して行けば、どんどん能力を開花させていくことができるように思います。

さらにびっくり。

おそらくこの力を強く保持している人が3人集まれば、ソウルメイトの関係を持たない非開花人でも、少し開花させられるように感じます。

おぉ、3人の超級能力者よ集うべし。

んでもって、開いてやっておくんなせぇ。

さすればもう、ありがたやーの嵐であります。

ということで、壮大な妄想もさすがにここまででありましょう。

毎日の助力に感謝します、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

重要人物

昨日、「ももの気功教室」の新年会をしました。

参加者17名ということで、一昨年の忘年会からはかなり人数が増え、とても賑やかになったように思います。

会の前、ワタクシは楽しみ半分、心配半分でありました。

なぜかというと、会の席をワタクシが決めて行ったからであります。

席が決まっている新年会。

それは結構、珍しい趣向だと思います。

そうしようと思ったのは、

「参加者がソウルメイトと親しくなる機会を増やすため」

であります。

気功教室は3クラスあるのですが、不思議とソウルメイトの組み合わせが全部、同じクラス内ではなく、クラスをまたいで成立しているのであります。

ですから、普段の教室では会う機会が皆無。

みんなで集まれる飲み会は、貴重な出会いの場であります。

ソウルメイトとは、前世や過去世で「濃い人間関係」を持つ人のうち、現生で時を同じくして生きている人、というくらいの意味であります。

誰でも4~5人くらいは一生のうちに出会うように、ワタクシは認識しております。

教室に来られているメンバーはソウルメイトへの関心が非常に高いようでありまして、それが新年会への参加率の高さになっているようであります。

会の席をワタクシが決めると皆さんに伝えたころ、ワタクシは自信満々でありました。

ソウルメイトだけでなく、テーブルごとの人間の相性の、最高の組合わせを作る。

そんなのは、「あっちの人」やら「彼方の人」に聞けばあっさり完了、そう思っていたからであります。

が、自分の考えを一切介入させず、あっちの人の意見だけを聞いて導き出したはずの席順は、意外なものになってしまったのであります。

それはつまり、ソウルメイトの組み合わせが近い席に成立しているはずなのに、あまりそうなっていなかったのであります。

それを確認して

「え??」

みたいな。

間違っていないか確認しても、合っている感触。

なんでだよぉぉ、と考え込んだのでありますが、深淵なるあっちの人の意見であります。

何かあるんだなと思って調べておりましたら、やっぱりあったのであります。

それが日記タイトルの、「重要人物」なのであります。

まぁ考えてみればソウルメイトだって、かつての人生で濃い関係になる前は、「初めまして」の間柄だったわけであります。

ですから、今回の人生でまっさらな出会いの人の中にも、大切な関係になる人は当然いるということなのであります。

「重要人物」でありますから、何かの意味で自分に影響を与える存在のようでありまして、これに関してはネガティブなものは該当しないようであります。

ソウルメイトの場合はネガティブなものもあるので、注意が必要、かも。

今回の参加者のうち、ワタクシにとっての重要人物もお1人おられるようでありました。

その方へのこれまでの認識ですと、かなり興味の湧く存在でありながらも、特別自分に影響を与えそうな気配は無かったのであります。

人との関りはそう簡単には読み切れないものなのでしょう。

今後注視していくことになりますね。

ワタクシの場合、今回の参加者のうちにソウルメイト2人、重要人物1人でありますから、結構高い濃度であります。

気功教室には特殊人が集まっているので、この濃度もあり得てしまうようであります。

気功なんてやりたい人は、どこかしらちょっと普通人とは呼べないでしょうから、特殊人。

ということで、今回の席順では、ソウルメイトと重要人物、そして単純な相性などを、完全なバランスで組み合わせてくれたはず、であります。

それでもまだ、席順をみてなんとなく心配。

このあたりのメンバーが合うかなぁ、とか。

でも結果、3時間くらいやっても終わりそうではない雰囲気だったと、おしゃべり好きなワタクシが思っていただけかも知れないのですが感じていたので、たぶん盛り上がったのでしょう。

やれやれ一安心であります。

うちの教室では、ソウルメイトの組み合わせに関しては、みんなには「何組ある」くらいしか伝えておらず、あとは内緒にしているのであります。

そしてもし知り合った人のうち、

「この人がソウルメイトで間違いない!」

と確信に至った場合は、たった一度、その正否をワタクシに聞くことができる、というきまりにしています。

なんて身勝手な取り決めでしょう!

そういうわけで、会の間ワタクシだけがソウルメイトの組み合わせの様子を見たりして、楽しんでいたということなのであります。

この状況はもう、最高の娯楽であります。

そしてたった一度の申告での間違いを恐れてか、まだだれもアタックしてこないのであります。

なので、この遊びはまだまだ続いてしまう展開であります。

実のところ教室への入会希望はまだ頂いており、新クラスも増やそうと思えば、の状況であります。

がまぁ、教室は結構大変ですし、このくらいの人数が良いかなと。

そしてワタクシにとっての重要人物は、他のところにもかなり居そうな気配。

新年早々、素晴らしい出だしであります。

今年はウクライナの戦争もコロナも終息して、いい年になって欲しいですね。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

自然な状態で長所を生かす

明けましておめでとうございます。

2023年、早速始まっておりますですね!

といいつつ、去年の話になるのでありますが、ワタクシは結構紅白歌合戦は見るほうでありまして、去年も全部ではありませんが見ていたのであります。

その中で、桑田さんやら佐野さんやら同世代5人組がでてきて共演する企画がありました。

ワタクシは少し前までは、桑田さんの音楽については今一つピンと来ていなかったのでありますが、エネルギーに敏感になるにつれて、その良さが分かるようになってきたようであります。

今回の紅白でも、その存在感はあまりに規格外で、他の方々が少々気の毒に感じたくらいであります。

彼の凄さは言うまでもないのですが、今の時点においても、かれのポテンシャルが完全に発揮され続けていることに、一番興味というか、凄さを感じます。

ミュージシャンも、一瞬で輝きを失ってしまう人がとても多いように思うからであります。

今から半月くらい前にも、矢沢永吉さんが出演されている番組を見ていて、かなり個性の強そうな生き方の中にも、多くの人を引き寄せる力や、人としての自然なやさしさ、人柄の良さをすごく感じて、とても嬉しく思いました。

自分の良い部分に焦点をあてて生きている人は幸せでありますね。

ワタクシなんかは、理想的な生き方からはまだ遠いように思うのでありますが、いろいろな人に会っていると、とてももったいないというか、その人の良さがあまり発揮されていない生き方をされているなと思うことがよくあります。

単純に他者への尊重がないとか、言葉が軽薄に感じられるとかいうように捉えてきていたのでありますが、一見施術者としてアプローチの範囲外と考えられるようなそういった「ふるまいかた」の中に、その人の不調と関りの大きな要素が含まれているように、近頃は感じるようになってきているのであります。

でも、「どうやれば」ということになると、ひじょーに難しいテーマですが、なんとなく、その人の自然な「ふるまいかた」を取り戻すことが、正解に近い、かも。

そしてさらにそのためには、その人の「良い部分」に光を当てるのがよさそう、みたいな。

かなりまだ、アバウトな話なのであります。

さてそこに登場するのが、「八卦盤」というものであります。

えー、なんでこの書籍の画像を、と思われるでしょうが、八卦盤の画像をネット上で探すと、この画像が一番エネルギー的によいと思ったからでして、他意はありません。

が、チア老師のまわし者であるのも否定できないのでありまして、でもまぁ、いいでしょう。

とにかくこの図形であります。

図形の真ん中のイラストは、八卦盤により様々なようで、対極図になっているものが一般的かも。なぜかエネルギーはあまりかみ合わない感じだけど。

八卦盤は最強の防御陣とも言われているそうでありますが、ワタクシが「彼方の人」に聞いた所によると、何かの良さを引き出す仕組みのようであります。

「あっちの人」じゃなくて「彼方の人」になったのは、ワタクシが意図したわけではないのでありますが、いつの間にかワタクシの問いに答えてくれる主な相手が変わってしまっていたからでありまして、問いの内容により「あっちの人」が答えてくれることもある、ということなのであります。

どうやら「彼方の人」の方が、より高次元の存在のようであります。

話は戻りまして八卦盤。

何かの良さを引き出すのであれば、誰かの良さも引き出してくれるのかを調べてみると、そんな使い方も可能であるよう。

が、それに関してはさほど向いている訳ではないような反応。

じゃあなにか、変化を加えるべきなのかというと、八卦盤の図形は(真ん中の意匠以外は)完成されたもののようで、それもなんか違う。

であるならば、もっと他の図形やらで作成可能なのかを聞くと

「イエス」

なんだそう。

ほほぅ、これはぁ、きちゃったでしょ? 

次の展開が。

こういうときの「存在」の方々の知性には、すさまじいものがあります。

エネルギーの世界に衝撃を与えるようなものが飛び出してくる可能性がある、かも。

どうやら図形プラス天然石6種の組み合わせ。

6種の石の力は均等にする必要あり。

石の力を測る能力、これについてはワタクシの得意分野ど真ん中。

エネルギー的な領域では、一番の大好物。

今まで作成したグッズで今回のものの価値は何番目か、を聞いてみる。

おふ、2番目。

一番目は、全部の運気を上げるアイテムだとか。

まぁあれは確かに有用だけど、残念。

というわけで、お正月休みが終われば、作成に取り掛かる予定。

でも不思議。今までに使ったことのある石が1つも含まれていないのだそう。

というのも、効果を引き出すエネルギー的領域がこれまでのグッズよりも上だからだとか。

この新たなグッズで、どなたかの「良い部分」を引き出す。

一体どうなるのか、楽しみであります。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

原動力

サッカーのワールドカップは多くの試合が終わり、優勝を目指す戦いも佳境に入ってきています。

先日はブラジルも敗戦しました。

ワタクシのようなサッカーの素人でもブラジルのサッカーは見ていて楽しいと思えるので、負けてしまって少し残念であります。

でも、それよりもっと感じてしまうのは、必ずどちらかが負けてしまう戦いの切なさであります。

PK戦になって、ブラジルで最後に失敗した選手がその場に崩れ落ちたシーンが目に焼き付いています。

それでもやっぱり、戦いを挑むべきなのか。

それが人間の、特に男の「サガ」なのか、戦うこと、相手より勝ることには凄く頑張りやすいようでありますね。

ワタクシもなぜか、戦争映画なんかも好きですし、娯楽で読む漫画なんかも何かの意味で戦う内容のものが多いのであります。

戦うことが魂的なものなのか、それとも集合意識によるものなのか。

そういう意味で仕事に関しては、うまく効果を出せれば患者さんも自分もうれしい気持になれる内容なので、その点に恵まれているように思うのであります。

ただそんな仕事でもまた、とても憂鬱になるケース発生。

言うまでもなくそれは、うまく改善させられなかった症例であります。

今回のものは、とてもお若い方への施術であることと、施術以外にいまのところ打開策がない症状であること、加えて症状によるダメージが、その方の人生を左右する影響力をもっていることから、なんとしても成功させなければいけない部類のものであります。

最初の時点でのワタクシの判断では、問題なく解決できると考えていましたが、ダメでした。

その症状に、ワタクシが把握できていない、難しい問題が関係しているということなんでしょう。

とはいえ、何のためにこの仕事をしているのか? と思わずにいられない気分であります。

自分でも、成功しないケースに対して、そこまで落ち込まなくてもいいようにも思うのであります。

そこにも何か、潜在意識下に大きな思い込みのようなものがあるのかも。

でもま、この苦い思いが、前進への原動力でもあります。

今の段階でも、考えうる限りの理想的な施術手法にはなっているように思うのでありますが、いつもそう思いながら、長くても半月くらい先にはまた何か思いつくのも奇妙なこと。

たぶん、エネルギーを感じ取る感覚がより敏感になってきたことが、その展開を可能にしてきてくれたのでしょう。

あっちの人によると、ワタクシの「気」に関するポテンシャルは、ほぼすべて発揮されているようで、もうこれ以上のものはほとんどない、のだそう。

鉱脈は掘りつくされました、であります。

でも残りわずか、まだ目覚めていない「特殊能力」があるのだとか。

おぉ、ここにきてワクワクキーワード登場!

秘力、じゃなくて特殊能力?

そうであります、完全に別物でありますぞよ。

秘力はその名前の通り「秘められた」能力でありまして、生まれつき持っているけどほとんどの人はあまり活用できていない力であります。

前回も書いた通り、身体の5つの部位がそれぞれ担う5種類の力があるように、今の段階だと推測しているもので、力の性質は概ね分かっているのでござんす。

が、特殊能力とは、今のところ何がその能力の発揮を担うのかも分かりませんし、秘力のポテンシャルがそれほど高くない人でも、保有している場合があるらしい。

そしてその能力の性質も人それぞれのようでありますが、「生まれつき持っている」という点は秘力と同じようであります。

調べてみると、ワタクシも1つだけ特殊能力をもっているようでありますが、先日までそのことに気が付いていませんでした。

なぜかっていうと、色々なことをエネルギー的に調べている一環で「あること」を調べてみた時に、「おぉ、そんなことも調べられるのか!?」と思った程度で、単にいつもやっているエネルギー的検査のおかげで調べられているのだと思っていたからであります。

つまり、ワタクシの場合はこの「特殊能力」も単に調べられるというだけで、言ってみればしょぼい能力であります。

がなんと、まだ未開拓の「特殊能力」が1つあるとの「あっちの人」の意見でありまして、そっちにつきましては内容はベールに包まれているものの、何かに対して作用する力、つまり影響力を行使する種類のもののようであります。

そしてさらに、その力は、ある人との関りの中で目覚めてくる、ような反応。

いやー、これはまだまだ楽しめそうであります。

今後長く関わっていくことになりそう?な、ユニバーサル・ヒーリング・タオ、もしくはタオイスト・ジャパンという組織も見つかったことですし、来年もより一層突き進めそう。

気功教室でも、目を見張る成長を遂げている参加者もいて、ワタクシも教える側として油断禁物、さらなる進歩が必要であります。

えーと、今日は反省の投稿の予定でありましたが、「能力」について書き出すと、つい元気がでる方向に変わってしまったのでございます。

が、まぁ暗い内容もつまんないですし、良しとするのであります。

さて、今回が今年最後の投稿になると思います。

この日記というかブログを読みに来て頂いている方は、みなさんかなり特殊人だと思いますが、みなさんにとって面白い投稿ができるよう、来年も良いネタを探したいと思います。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!