「気功・摩訶不思議系」カテゴリーアーカイブ

気功やそのほかのエネルギー・精神世界について。

聖なる呼吸

今回の投稿は、ヨガや気功の訓練者や興味のある人、そしてワタクシのようなエネルギーキチガイ、スピリチュアル狂以外の人にはたぶん、どうでもいい内容であります。

タイトルにある通り、ドキュメンタリー映画「聖なる呼吸」についての感想なのであります。

「聖なる呼吸」の内容は、ヨガを現代の形に確立したクリシュナマチャリアと彼の子や直弟子についての話。

直弟子や子らがクリシュナマチャリア在りし日の話などを披露してくれている。

ワタクシは昔話にはほとんど興味なし。

でありますから、この映画を通して注目していたのは

「登場人物の背骨の中をエネルギーが通っているのかいないのか」

だけであります。

ワタクシの認識では、ヨガ・気功において背骨の中に強いエネルギーが通っていることは、訓練により大きな果実を得たことの証明であります。

そして「通っている」人物がごろごろ出てきたことに、まず驚嘆させられたのであります。

「ごろごろ出てくる」ことが意味することは、背骨を通す手法が確立されているということなのであります。

ワタクシはヨガについてはほとんど知らないので、例えば国内でヨガを指導している人達のなかに、どの程度「通っている」人がいるのかも、全然分からないのであります。

でもおそらく、非常に少ないのではないかと推測する理由は、そんな人に会ったり、うわさを聞いたり、画像を見たことが一度もないからであります。

気功の実践者においても、「通っている」人は少ないというか、まさに希少な存在であります。

国内の有名な実践者においては、まだ一人も見つけたことがないのであります。

いえ、正確には先月、

「あ、、通りかけている・・・。」

という、言ってみれば「羽化」の最中にある、ある人の一場面に出くわしたところでありますが、その一例くらいであります。

そんな「通っている」状態に、どうして強い関心を抱いているのかというと、ワタクシの先生がそれを成し遂げておられたという事と、それが原因で亡くなられたのではないかと思われるからであります。

先生が亡くなられた当時のしょぼいワタクシでは、先生のエネルギーがどうなっていたのかは全く分かりませんでした。

でも今になって、元気なころの先生の雰囲気をイメージで再現して調べると、確かに背骨の中をエネルギーが強く流れているように感じることができます。

過去のことをなぜ調べられるのかは、ワタクシにも分かりませんし、「ほんまかいな?」と言われれば「間違いない」とまでは言えないのでありますが、患者さんが胎児だったころのエネルギーなども調べたりして活用しているので、単なる妄想でもないと思われるのであります。

さて、先生が背骨の中に通されていたエネルギーは、本来背骨の中には流れていない、ある意味「粗雑」ともいえる、手足などにも流れているエネルギーであります。

ワタクシの感覚によるなら、「中枢神経系」に自然な状態で流れているエネルギーは、手足などのものとは質的に違うのであります。

本来と違うものが流れた時に脳や脊髄に負担がかかることは、クンダリニー上昇にリスクがあるとされていることや、先生に起きたことを考えると、容易に想像できます。

でありますから、ワタクシはそのような手法は行うべきではないと考えていたのであります。

が、映画をみて「完全に間違った認識」だったと理解しました。

なぜなら、クリシュナマチャリアやその子供たちが背骨に通しているエネルギーは、まさに手足のエネルギーとほぼ同質のものだったからでありますし、そしてまた感覚的に調べてみても、健康状態は良いと感じたからであります。

でありますから、背骨に安全な形で強いエネルギーを通す手法は、確立されたものであることは間違いないでしょう。

ただ、であるならば、「逆に疑問点が生じる」というのがこの映画の一番面白いというか、ミステリアスな部分なのであります。

といいますのは、登場人物の中で、クリシュナマチャリアと同じ質のエネルギーが背骨に通っているのは「実の子」のみで、他の弟子は通っていないか、もしくは義理の弟のアイアンガーがそうですが、通っていても違う質のエネルギーによるものだからであります。

アイアンガーはクリシュナマチャリアの指導方針に反発して彼の下を去り、独自の手法による「開通」を成し遂げたようであります。

中国三千年の歴史秘話にでてきそうな、「門外不出」やら「一子相伝」のような話なのかもしれません。

クリシュナマチャリア流「開通」手法が、どのくらい世の中に広まっているのかは分かりませんが、独自の手法で臨み、失敗する人は少なくないかもしれません。

ワタクシの先生のように、であります。

そういえば日本の仙道で有名な高藤さんも同じ失敗をしていた可能性があります。

最期は狂人になって、病院にいたという噂があるので・・。

クリシュナマチャリアと先生が、背骨を通すのに利用したエネルギーの質はおそらく同じ。

ではなぜ先生は失敗したのか。

ワタクシが想像している通りに、先生が「粗雑なエネルギーを通す手法」で失敗していたとすると、その理由はエネルギーの質ではなく、流れていくルートの確保が不十分だったと、一つの仮説として考えることができます。

ここでは詳しく説明しませんが、気功とヨガの訓練方法は似ている部分もあり、明確に違う部分もあります。

その中で重要と思われるのは、確保していくルートの違いであります。

その違いにより、大きなエネルギーが背骨の中を上昇した後に、脳からスムーズに送り出すことが出来ていなかったことが先生が失敗した原因だと推測することに、無理はなさそうであります。

他にも失敗した理由になりそうな要素はあります。

それは、マチャリア流開通を成し遂げている人達は、みんな意識状態が非常に深い、ということです。

意識状態の深さとは、本来潜在意識下にある領域のうち、おぼろげながらも顕在意識下に置くことができている範囲の広さのことでありますが、たぶんなんのこっちゃ分からない説明であります。

意識状態が深くなければ、例えば背骨の中に本来流れているような繊細なエネルギーは感じ取ることが出来ないと思われます。

普通にヨガの鍛錬をやっている人や、マチャリアの直弟子でありながら開通していない人、そして当時の先生の意識状態の深さは、一般の方と大差ないと感じます。

ということは、マチャリアは実の子に対して、特別な内容の訓練を施していたということになるのかもしれません。

それがどんな内容だったのかは、推測することはできる、かも。

というのは、全く別の業界にも開通者がいるからであります。

それは心理学の業界。

実際にお会いした人は一人だけですが、他にもおられるとネット上の画像などを見ていて感じます。

業界全体だと人数が多いので、ひょっとすると5人以上おられるかも。

その方々の背骨の中に強く流れているエネルギーは、アイアンガーと同じもの、つまり本来弱いながらも背骨の中を流れているエネルギーであります。

でありますから、マチャリアが背骨に通しているエネルギーとは違うのでありますが、意識が深いということに共通点があります。

心理の専門家がエクササイズとしてやっているだろうことは、おそらく「自分の内面に向き合うこと」でしょう。

通常のヨガの訓練者が熱心に肉体面への探求を行っても意識は深くなっていない。

ならば、足りない訓練の方向性は明らかです。

ただ、マチャリア流開通者は、心理学の人やアイアンガーに比べれば、意識状態はやや浅い。

意識状態の深さと、意識でのエネルギーの操作をうまく組み合わせた開通方式かもしれません。

おそらく、背骨の中に強いエネルギーを通すだけなら、心理面へのアプローチの方が効率がいいのではないかと思います。

なにしろ、背骨の開通を意図していなくても通っている訳ですから。

ただ、気功やヨガの訓練者が背骨を通したのなら、そこから得られる果実はもっと大きなものになります。

それは「丹」の生成やそれ以降のルートの開発による、肉体面の強化です。

心理学方式の開通の場合、肉体への影響はさほど現れていないように感じますので、ワタクシ的にはとても「もったいない」という印象。

「丹」については気功の訓練によるものと思っていたのですが、「聖なる呼吸」の登場人物にも丹が2つある人がたくさんいたので、そうではないようであります。

この映画の中で、一番印象に残っているのは、冒頭に登場する若いヨガ・インストラクターであります。

彼は映画に登場したどの開通者の弟子でもなさそうですが、しっかり背骨の中が開通しています。

なにか、その程度の訓練者は珍しくもないですよ、と映像企画者が言っているかのよう。

ヨガの訓練者への、何らかのメッセージのようにも思えるのであります。

よりよい教えを、みんなのために。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

〇〇さん

先日ある歌番組をみながら遅い晩御飯を食べていたところ、エンディングの中で流れてきたサウンドに、瞬間的に「きたっ!」の反応。

超ド級ストライクの感覚につられて見てみると、「えーと、BiSH?」と初めて聞くバンド名。

たぶん若い人なら良く知っている存在。

なかなかよろしんじゃないでしょうか、ということで調べていると、

「KAZUYA YOSHII」

つまり、吉井和哉の作詞作曲でありました。

彼の楽曲は大好物でありますので、先刻の反応も納得。

好きなものを嗅ぎつける「嗅覚」というものは、ワタクシにもそなわっているようであります。

あーでも、BiSHはなんともう、解散するのだとか。

今どきのグループとしては少数派の、直球勝負のようなパフォーマンスも好印象でしたが、残念であります。

また違った形で突き抜けた姿を、今後見せて欲しいところであります。

さてワタクシは、タオイストジャパンによる4泊5日のセミナーに参加し、またまたいろいろなものを収穫してきたところであります。

今回はセミナー中に試験を受けたこともあり、途中までセミナーの内容を満喫できなかったように思うのでありますが、試験後は水を得た魚のようでありました。

今回の会場はすごい山の中で、周りにはお寺と自動販売機1つだけしかない秘境。

そのお寺にすごく良い仏様がいるということで、ちょうど行く予定というお二人とともに会いに行きました。

すごくちっこい仏さまでありましたが、周りに置かれている大きな仏様などよりずっと強くて気持のいいエネルギーを放っておられました。

そのあと、周辺の参道を歩いて、さらにいくつかの祠や摩崖仏を見て回りました。

宿に帰ってきてセミナーを受講していると

「あ、誰かやって来た。。」

という感触。

とっさに、一緒に行ったお二人のほうにも来ているかエネルギー的に確認してみると、やっぱり来ているような感じ。

で、休憩時間になったとき、

「来た?」

とお二人に個別に聞いてみたのであります。

いきなりそんな質問をしても、普通の人ならなんのこっちゃでありますが、特にエネルギーに敏感そうなSさんは

「来た!」

とはっきり答えました。

ワタクシは自分の感じる事柄について、本当かどうか確認できたことが今までなかったので、やっぱり妄想じゃなかったんだということでとてもうれしい出来事になりました。

でも実は、どの仏様がやって来られたかについて、はじめ意見が食い違っていたのですが、あとで調べなおしてワタクシの方が間違っていたと分かりました。

Sさんの場合はワタクシのようにYESかNOかで判断している訳ではないので、どの仏様がこられたのかは、間違える余地がないのだと思われます。

今回のセミナーでは、高度な資格に挑む人達、タオイストジャパンに関わるメンバーのなかでも中心的メンバーが多く参加していたようで、Sさん以外にもかなり敏感な人がおられた模様。

今後もなにかとお世話になるだろう人達であります。

セミナーでは他にもいくつかのことが起きたのでありますが、最後の日に踊ったあと、誰かが泣き出すと、なぜかワタクシも泣けてくる不思議。

やっぱり不思議なセミナーなのでありました。

全部が終わって駅で帰りの電車を待っていると、豪雨で遅延とのアナウンスが。

今回の会場は京都だったのでありますが、関東や中部地方から来ている人達も当然いて、新幹線に間に合わない、切符を取り直さないと、という事態になりました。

で、時間をつぶすなどのため、飲みに行くのがみんなの都合に良い、ということに。

6人で飲みに行ったのですが、セミナー前は全く知らない人ばかりだったのに、すごく落ち着くし楽しいし違和感がないしで、まさにミラクルな飲み会になったのであります。

人の縁ほど面白いものはないですね。

ワタクシは普段、施術者として、あるいは気功を教える者として誰かに出会っています。

何かを教えてもらう側として出会うことももちろんあります。

でも、飲みに行ったみんなと話していると、

「仲間」

という言葉が浮かんで来たのであります。

対等な立場というのは、すごく心地の良いものでありますね。

そういえば、タオイストジャパンという集まりからも、「対等」という雰囲気をすごく強く感じるのであります。

例えば代表は「タリカさん」という人ですが、多くの人が

「タリカ」

と呼び捨てにしています。

男の人の集まりだと、成立しにくい文化であります。

セミナー中や飲んでいるとき、新しい仲間に

「〇〇さん」

というと、

「〇〇でいいよ」

と何度も言われました。

あ~でも、

「〇〇さん」

が落ち着く脳みそになっちゃってるのであります。

さん付けは、人が親しくなるのを邪魔する要素があるよう。

ワタクシは患者さんから「もも先生」と呼ばれることがよくあります。

というのも、みなさんワタクシの名前を知らないからであります。

そんな呼び名が

「もも」

だけになる展開もあり得るのでありましょうか。

人生先が読めないところが良いですね。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

好転反応

ワタクシの施術は、かなりゆるいタッチといえばいいのでしょうか、弱い圧でおこなっています。

でも、体全体にかなり大きな変化を与える手法なので、その反動でいわゆる「好転反応」がしばしば引き起こされます。

好転反応とは、回復の過程で一時的に症状が逆に酷くなったり、全く別の症状が出てきたりする現象のことであります。

初回の施術の後、おおむね3週間~1ヶ月あけて次の施術を受けて頂くことが多いのですが、重い症状で来られている患者さんの場合、施術後1~3日後にお電話をいただくことがたまにあります。

電話の内容は

「このままで本当に大丈夫でしょうか」

といった内容であります。

ほとんどの場合、その時点で電話越しに検査をすると体がまだ回復の真っ最中で、施術はしない方がいいという結果になるので、そのままもう少し様子を見るようにお伝えします。

そしてその後、時間の経過とともに回復が進んで、患者さん本人にも効果が分かってもらえるというのが予測しているパターンであります。

このパターン通りにならない場合、体全体の状態が悪くて効果が現れてくるまでにさらに時間がかかる場合と、単純に施術が失敗している場合があります。

そのどちらなのかの見極めは、時として困難な場合があります。

ワタクシ自身の体は超難解なので、しばしば好転反応に苦しめられておりますます。

ぎっくり腰の様な状態になったり、普段から悪い肌の状態がとんでもないことになったりしています。

そんな時、ワタクシの思考回路はいつも同じ判断を下します。

それは

「この悪化は効いている証拠だから、もっとやった方が良い」

というものであります。

でも最近見つけ出した問題への施術では、反動のあまりのきつさに、やっと気が付いたのであります。

もっと優先して施術すべき問題があるのではないか、ということにであります。

ワタクシの手法は、どこからケアすれば良いのかを体に聞いて決める、ということでありますから、順番を間違えることは基本ない、はず。

でも間違えているとすれば、ワタクシがまだ知らない問題が体に起きている可能性が高いのであります。

患者さんの体に、

「どこを最優先でケアして欲しいですか?」

と聞いても、ワタクシの知らない問題はターゲットに入っていないので、そこへの施術が答えとして返ってくることもないのであります。

でありますから、全部の問題をターゲットにできるよう、ワタクシが長い時間をかけてやってきている作業は、体に起きる未知タイプの問題を探し出して、認識下に追加するというもの。

ワタクシ自身の肌に関しては、とにかく一度悪化するというのがいつものパターンであり、その理由については

「皮膚下の老廃物や汚染物質の排泄が激しくなるため」

と解釈してきており、そこに疑問を感じていなかったのは、微生物や重金属、化学物質などの汚染が症状の出現の原因になっている、と考える学会に10年以上関わっていたからかもしれません。

が、とうとう今回

「それって違うでしょ?」

と感じたのは、末期がんの患者さんに対して施術した場合でも、肌の変化が何も起きていないことに「ふと」思い至ったからであります。

他の重い体調悪化もそうですが、末期がんともなれば体内に排出すべき物質がたくさん蓄積しているだろうという考えに無理はないでしょう。

でも、多くの場合肌に何の変化もなし。

じゃあワタクシの皮膚は一体なぜ悪化するのか、であります。

そこで思い出したのが、プロテインの作用する組織を調べていた時のことであります。

医学的にもタンパク質の十分な摂取が重要と考えられるようになってきている中、ワタクシの場合はどこに効いているのか調べると、意外に臓器でも脳でもない。

なんと「神経」でありました。

とても広い範囲に分布している神経全体に効いている感覚がある。

効くということは神経に異常がおきている可能性が高い。

これは一体どういうことなのか。

そしてさらに別の組織にも効いているという検査の反応。

それがどこなのか、突き止めていなかったのであります。

改めて調べてみても、なかなか探し出せなかったのでありますが、とうとう見出したのは

「脊髄から背骨の外へ神経が出ていくあたり」

つまり神経根といわれる部位。

ここに何かが起きているので、それに対してタンパク質が効く反応が出ている。

ついでに神経の問題もここが引き起こしているらしい。

じゃあ、その「何か」とは何なのか。

分かったのは、ここで脳脊髄液の流れがストップしていること。

脳脊髄液は脳から脊髄の方に流れてきていますが、脳神経や脊髄神経にも流れて行っているのであります。

脳神経とは脳から出ている視神経とか顔面神経とかの神経、脊髄神経とは脊髄から背骨の外に伸びている神経であります。

こんな基礎知識まで書くなんて、なんて親切なブログでありましょうか。

とにかく液体が神経根のところで流れなくなっている。

なんでありましょうか、この異常は。聞いたことがないトラブルであります。

が、見つけたのならあとは簡単であります。

なんでもいいから水が流れるようにすればそれで良いのでありまして、その方法はもちろん「あっちの人」に聞くだけであっさり判明。

身体に適切な手技を行って全身機能が活性化したとき、脳の奥から湧き出してくる脳脊髄液の量がふえるのですが、「水が流れていない」状況があちこちで起きていると、流れが止まっているところでの液体の「つまり」がもっと激しくなる。

どうやらこれが、ワタクシの肌の状態悪化の主要な原因だったようであります。

この新しい発見をもとに患者さんたちを調べていると、すごく多くの症状にこの問題が関わっているようであります。

また一つ賢くなったようで、大変満足なワタクシであります。

さていつも、有意義に生きているようなワタクシでありますが、今日は大きな挫折というか、妄想?について書こうかと。

ワタクシは一昨年の秋くらいから、ある人と出会うのを待っていました。

というのは、それまでずーっと、10年くらいの間通ってくれていたあるソウルメイトと関わらなくなり、人間関係の「潮目」が変わるような気がしていたからであります。

そのソウルメイトの方とは悪い因縁だったのですが、どんな時もワタクシの言うことを否定せず、まだ未熟なワタクシを勇気づけてくれる存在でありました。

でもその方には異性としての魅力を全く感じなかったので、なにかの関係が進展することはなく、とうとう関りが終わる時が来た、ということなのであります。

初めて会う人というのは、普通のお仕事の人なら数がそれほど多くないと思われますが、ワタクシの場合は毎月20人くらいの人と「施術者として」出会うので、結構な数であります。

プライベートで誰かと知り合う機会はほとんどないので、その中に新たなソウルメイトが含まれているだろうと予測していました。

新しい患者さんの予約が入ると、ソウルメイトかどうかを必ず調べることを繰り返していたところ、今から一年くらい前に、とうとうそれらしき人がくると分かりました。

ですから、その人が初めて治療院に入ってきた時のことはとてもよく覚えています。

そして施術の際に

「どうしてウチに来たのですか?」

と聞いてみました。

するとその人は

「いえ特には。家から近かったですし」

と答えました。

ワタクシは凄くがっかりしましたし、ごく普通に施術して、普通に帰って行かれました。

ソウルメイトかどうかの判断は、結構難しいです。

特に当時の感覚だと、ぎりぎり判断が可能かどうかくらいでしたので、単純に判断が間違ったんだと考えました。

2回目に来られた時も特別な事がないまま、施術後のウォーターベッドへ案内しました。

その時にふいに会話が始まって、そのまま3時間話しました。

3時間。

「やっぱりこの人だったんだ」

と思ったワタクシは、会話の中で、なぜウチの治療院を選んだのかをもう一度聞いてみました。

するとその人は「神様に聞きました」という主旨の返答をしたのです。

そんな人に会ったことあります?

ワタクシはありませんでした。

今では結構、そんな人も来ますけど。

その人との会話は不思議で、今までしたことのない種類の会話とでもいえそうな、脳みそがすごく疲れる、でもすごく刺激的なものに感じました。

3回目に来られた時もまた、最後の患者さんだったこともあり、3時間くらい話しました。

その日の晩、ワタクシはその人について

「ワタクシにとって一番大切なことは、あの人のすぐそばにいること。」

だと確信しました。

もちろんワタクシは単にソウルメイトというだけでなく、相性とかそのほかいろいろな事柄について調べてみて、疑問の余地なし、と思ったのであります。

そのあと、いくつかの出来事があって、ワタクシの感覚だと毎日のようにその人のエネルギーがやってくるのを感じるのですが、ワタクシの願いは叶えられないんだ、と最近になって分かってしまいました。

今ではいろいろな検査、リーディングも上手くなり、その人と何かが通じていると思っていたのでありますが、それは単なる妄想?

そんなのありえない、と思いたいところですが、自分自身が深く関わる事柄への検査はとても、間違えやすい。

どちらにしても、物事は完結しました。

これがワタクシの、ひょっとして人生最大の妄想?、もしくは失敗であります。

でもま、面白い日々だったかなと思います。

そして次々に、面白いことはやってきています。

すごくびっくりしたことは、なんと新たなソウルメイトがやってきて、ワタクシがソウルメイトだということを言い当てたのです。

ワタクシ以外でソウルメイトのことが分かる人に初めて出会いました。

これからどんな展開があるのでしょうか。

すごく楽しみです。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

で、あります。

いつ頃からなのか分からないのでありますが、何かが普通じゃない気がするのであります。

このひと月くらいは特に、普通じゃない人にたくさん出会っているように思いますし、何かこう、運命の歯車が

「ぐ・・」

と動いているかのよう。

考えてみると、この日記を書いているときの

「であります」

表記もちょっと変、というか尋常とは言い難い?

何年か前の投稿だと、そういうのは使っていませんでした。

なぜかその書き方がしっくりくる。

なんでだろ?と、ふと思って「はっ!」であります。

つまり、記事を書く時に「誰かの好み」の影響を受けている。

調べると、あぁ、ぬし様、あなたなのですか?

患者さんをケアしていると、たまーにだけ力を借りていたぬし様でありますが、最近は登場が激増。

あと不審に思っていたのが「人の声」への関心。

ある種の声になぜか凄く惹かれるのであります。

そんな傾向はかつては皆無でしたが、まさに気が付けばいつのまにか、なのであります。

それもぬし様の影響のよう。

それって正常?

ワタクシの神様事情は今後も変化していくのでありましょうか。

来られる患者さんにも神様仏様の守護を受けている人が多くなっているような。

かなり不思議な展開を見せている今日この頃であります。

そしてさらに先日、超ド級の人物が視界に入ってきた模様。

どんな人なのか、ワタクシとの相性はどうかなどを調べようとしたところ、

「分からない」とのあっちの人の反応。

であるならば陛下ご一家のようにブロックされているのかと思いきやそうでもない。

これはつまり、ワタクシの能力レベルを完全に超えている人を調べた場合の反応であります。

しかしそんな時に登場するのはワタクシ独自作成のアイテム

「意識最深度キープ君」

であります。

キープ君の力を借りれば、通常では不可能な検査も可能なのであります。

その結果

「あーヤバい。こーれはヤバい。超ヤバい。」

な御仁であるよう。

でもたぶん、お会いすることは可能、のよう。

かなりクローズドな会を開催されているようなので、この人のことは今後、書けないかもしれないのでありますが、あしからず。

さしあたり、どんな訓練でそんな領域まで駆け上がったのかをお聞きしてみたい。

というのは、ワタクシもいろいろな能力者を見てきているので、単に生まれつき感覚がよかったというだけの人と、何かの取り組みで能力が上がった人との違いくらいは分かるのであります。

今回の人の領域には、すごくセンスに恵まれた人でも特別な取り組みをしない限り到達不可能。

ワタクシのような、元々何の感覚もなかった人間にはとても興味深い人物であります。

さて、「愛の秘力」について、さらに調べています。

「尾骨」など他の秘力の場合は、その力は単体で機能しているようでありますが、「愛の秘力」だけは違うように思われます。

この秘力を担うのは胸骨体かその内側の組織と思われますが、そのちょうど背中側が開いていないと、どうやっても愛の秘力は開かないようであります。

「背中側」が映し出すものは

「自分自身の心を開けられるかどうか」

であるよう。

ここがほんの少しでも開いていれば大丈夫ですが、完全に閉じている、ゼロの場合は対処が必要であります。

自分自身を完全に閉じているとはどういうことなのか。

これは表面的なコミュニケーションとかの話ではなく、7層目の意識領域での話なので、凄く社交的な人でも閉じている場合が少なくありません。

じゃあなぜ閉じたのか、であります。

調べてみると、子供のころに完全に閉じている人は今のところなし。

ならばいつのタイミングなのか。

ほとんどケースは

「結婚生活の中で」

つまり、結婚相手とのやり取りの中で、ということであります。

実際にワタクシの検査でそう感じた人に、結婚相手との関係性をお聞きすると

「心が通じ合っている」

と答えた人は今のところおられないのであります。

「結婚生活は、修行」

とおっしゃった方もお二人おられました。

なんてことでしょうか!

かなり前の記事でも書いたとおり、結婚運が低い人の場合、良い結婚生活をおくることはできないようであります。

でも、心が深い領域で閉じる原因となった相手が分かれば、石でのケアで解決は可能なようで、現在ニューアイテム作成中であります。

お二人の心を同時に開くことができれば、おそらく夫婦生活自体が激変するでしょう。

そしてついでに愛の秘力も開いて能力もアップ、という算段であります。

このあたりの研究はひじょーに上手くいっているのであります。

これも何かのご加護でありましょうか。

世の中のためになる研究は、進みやすいのかもしれません。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、ぬし様、名前のない神殿!

能力

今月の5日に、タオイストジャパンのダンスと瞑想イベントがあったので、名古屋まで行ってきました。

前日の4日には大阪でも開催されたのですが、土曜日は仕事なので、うちの教室の参加者と患者さんに参加して頂きました。

お二人のイベント後のエネルギー状態を調べると、予想通りの変化が起きていました。

つまり、「愛の秘力」が働き始めていました。

もちろんお二人にそのような変化が出やすい素質はあったのは当然でありますが、自分一人での取り組みでは、おそらくどんな高度なエネルギーワークでも成しえない成果が得られたのであります。

ワタクシも名古屋の会場にお邪魔して、踊っていろいろなものを発散しながら、イベントのといいますか、タオイストジャパンの目指す方向性のようなものを感じていたのであります。

気功の練習といえば、健康の維持や自分との対話であったり、エネルギー操作の習得、感受性の向上、さらには能力の開発というのが、目的として意識されやすい項目であります。

とりわけワタクシの教室では、「能力」というものに最大の関心を寄せた内容に、主催するワタクシの興味に沿って進めてきているわけであります。

でも、そもそも何のために「能力」を得ようとするのかを考えると、ワタクシの場合は施術者でありますから、現実的に、能力がなければ患者さんに良いケアを提供できないから、ということになりますが、一般の人にとってはそうではないでしょう。

「幸せ」に近づくため、と大雑把に考えても良いように思われます。

人生を幸せに送って行きたい、有意義に生きたい、というのであれば、「能力」というものが一番大事だとは言えないのであります。

「幸せ」に近づくために一番必要なものは、おそらく

「自分が与えられているものに感謝できること」

ではないかと、ワタクシは思うのであります。

でもそれが、難しい。

難しいのは、他者との比較からなのか、他者との距離からなのか、自己への不満からなのか、分からないけど難しい。

その難しさは、何かの能力を得ても、おそらくほとんど、解消されない。

気功の練習をして、自分自身と向き合うことで、いくらか変化は起こるでしょう。

でも、まだまだ足りないところがある。

その足りない部分を、タオイストジャパンが提供してくれる。

他者との関係性を効率的に、そしてダイレクトに、変化させてくれる。

そしてその変化が、自分自身への向き合い方を変えてくれる。

そのような取り組みには、「能力」は不要。

というよりむしろ、弊害になりえる。

ワタクシは教室をやりつつ、徐々に疑問に思うようになってきているのであります。

「技術」とか「能力」を追求してきたワタクシは、素質のある人が大好きなのであります。

それはもうほとんど、病であるかのようであります。

でありますから、気功を指導しながらもつい、進歩の早い人とか、ポテンシャルの高い人に注目しがちなのであります。

教える側の人間として、ひどい奴であります。

それでも教室をやり始めた頃と比べ、すごく強い関心を持つようになったことがあります。

参加者の皆さんが練習の中で意識を集中し始めると、通常の時よりもずっと、その人の「在り方」のようなものを感じるのであります。

どんな人にも、本来の「素」の状態になるのを阻んでいる何かを感じます。

それが強い人ほど、日常の中でも「自分を自分で制限している」のではないかと、想像します。

一見理想的に生きている人の中にも、意外に強く感じる場合があります。

当然ながら、制限はワタクシにも残されています。

そんな制限を、教室の中の取り組みでうまく減らして行けばいいのではないかと考えています。

そして今作成中なのは、

「愛の秘力を開くアイテム」

でありまして、天然石5つの組み合わせで作れるようであります。

秘力だから結局能力じゃん、と思われるでしょうが、そうでもないのが愛の秘力の凄いところであります。

愛の秘力が働きだすと、とても深い領域の感受性が得られるからなのか、生きるスタンスにも影響を与えるように思われます。

ワタクシの場合には、テレビで何かのエピソードを聞いたり、良い文章や歌詞をみたりするだけで、すぐに涙が出てきそうになるのであります。

そして物事を判断する際の視野が広くなったようにも思うのであります。

他者の心を開きつつ、自分自身も開いた状態にしてくれる、それがおそらく愛の秘力なのであります。

自分と周りとの間の壁をなくしてしまう事は、自分自身への制限をとっていくためにも大切なステップになると思われます。

そのアイテムを想像しながら、教室の参加者一人づつにどのくらい影響を与えるのかを調べると、「愛の秘力」の開きやすさが分かります。

残念ながら、あまり影響を与えられない人も少なくないようでありますが、すごく強い影響を得られる人もいるようであります。

ま、そういうグッズも使いつつ、今以上に幸せを感じて生活できるよう、教室を進めていこうと思います。

今日は前回の「視床下部」を調べる過程で分かった、整体領域での画期的発見について、たまには施術者としての内容を書こうかと思ったのでありますが、全然違う内容になってしまいました。

その内容は次回にでも。

というわけで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

感覚を会得する

先日、気功教室の参加者から

「気をはっきりとは感じ取れなくて」

という感想を聞きました。

確かにそうであります。

それは結構、ではなくすごく、難しい課題であります。

実際どうでしょうか。

気功とかヨガとかやっていて、気をうまく感じ取っている人がどのくらいいるでしょうか。

とても少ないのではないでしょうか。

ワタクシも、なんとなくは分かるけど・・・、という状態が10年以上も続いておりました。

正確には13年くらい?

長い、長すぎる。

そんなワタクシが思うに、始まってまだ2年足らずの教室ですから、気を感じ取れなくても

「特に問題なし」

であります。

でも。

感じ取れなかったら楽しくならない。

どころかだんだん苦痛、忍耐になることも。

いつになったら?の忍耐であります。

ではどうするのか。

感じ取れる人とそうでない人の何が違うのか。

まず最初にそれを調べなくてはいけないでしょう。

そんな事くらいは、ある程度色々なことを感じ取れるようになった頃にも、調べてみたことがあります。

でも、分かりませんでした。

分からなかった理由は、そのころ検査に利用していたエネルギーは中脈のものでしたが、中脈以上に高度なエネルギーの領域については調べられなかったからであります。

そして今回、突きとめられたのであります。

霊能者も含めて人並外れてエネルギーへの感受性が高い人は、

「視床下部」

「霊的に」

活動しているようであります。

霊的にとは、通常の肉体的な機能とは違う活動の仕方で、という意味であります。

その活動量を調べると、感じ取れない人はゼロ、となりますが、すごく感度の良い人の場合、1.5以上となっています。

ま、ワタクシ独自のスケールですので、単位はありません。

若干感じ取れ始めているくらいの段階の人だと、0.01くらいです。

0.01だけどゼロではない。

けどゼロに近い。

ワタクシが中脈の利用の仕方を習う前、経絡の流れが正常かどうかくらいは見ただけで分かるようになっていた頃を調べると、0.1でした。

その頃は患者さんの身体のエネルギーを感じ取ろうと必死にやっていたのですが、手を介して感じとる場合、一番発達するのは視床下部ではなくて中脳。

感じ取っているエネルギーがほぼ肉体のものでありますから、低級なエネルギーを感じ取るのはは中脳、ということかもしれません。

中脳の霊的活動は1以上だったようであります。

整体とか手で仕事をやっている人の場合で、感度が凄く良い人は中脳が発達、霊能者的感性は視床下部、ということのようであります。

一般の人の場合、誰かを触って調べる機会はほぼないわけでありますから、視床下部を攻略しなければいけないでしょう。

さてどうするか。

視床下部がどんな質のエネルギーに最も反応するのかを調べると、6層目、となります。

通常の肉体のエネルギーが1層目、思考や感情のエネルギーが2層目、というあの概念のはなしであります。

ちなみに神智学の場合、肉体、エーテル体、アストラル体、・・などに分類しているわけでありますが、ワタクシの場合は7層に分けております。

6層目。

6層目のエネルギーで、身の回りにあるものといえば、ずばり言って「天の気」。

でありますから、天の気を感じ取る訓練をやればいい、ということになります。

あっちの人によると、天の気を感じ取る訓練だけをやっていれば能力の開花する人は1000人に1人くらいだとか。

おそらく、天の気を感じ取る訓練をしても、ほとんどの人は違うエネルギーに焦点があってしまうので、目的を果たせないのでしょう。

天の気が分かる人に、今焦点が合っている、合っていない、ということを確認してもらいながら訓練する必要がありそうです。

ちなみに、視床下部以外の部位でいろいろなことを感じ取っている人もおられるようで、それがどこかと言えば「秘力」発揮を担う部位であります。

つまり、
下垂体(といか本当はトルコ鞍との接点)
尾骨
恥骨結合
胸骨剣状突起
胸骨体
であります。

これらの部位の霊的な活動がMAXに達しているとき、それだけで常人離れした感度を発揮するようでありますね。

胸骨体に関しては「愛の秘力」でありますので、ここだけは格の違う力なのでMAXはありえないと思われますが、ここが少し働くだけで他のどこかの部位の働きがMAXになってしまうようなので、ここをなんとかして働かせるようにすることには凄く意義があると思われます。

シータヒーリングというやり方がありますが、昔必死に練習していた時期があります。

そのころの視床下部の働きを調べると0.03でした。

練習の仕方としては悪くない、かも。

天の気以上に高度なエネルギーも、もちろん存在しています。

でもなぜか、それらのエネルギーを感じ取れている人の中にも、視床下部の働きがさほどない人もいるようであります。

なぜか、天の気がベストなのであります。

エネルギーを感じ取る訓練というのは、なかなか攻略の難しい道でありますね。

でもなんとか、やりぬいて頂きたいと思います。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

「愛」の伝播

ワタクシは最近、新しい患者さんが来られた時とか、予約が入った時などに、その方の

「意識の広がり具合」

を調べています。

意識といえば、表に見えている部分、把握できている部分を「顕在意識」、奥に隠れている部分、通常把握できていない部分を「潜在意識」と呼んで区別しています。

気功の訓練をやっているとき、この「顕在意識」の領域が普段より広がっていき、潜在意識の中の比較的浅い部分を「顕在意識下におく」ような状態になると感じます。

気功の訓練を続けていると、この「顕在意識下におく」領域が、訓練をしていないときでも完全にはもとにもどらず、一部が広がったままになるようであります。

そして訓練の進行とともにその領域が徐々に大きくなっていく。

顕在意識下におくといっても、もともと潜在意識に含まれていた領域をはっきりと認識できるわけではありません。

が、その領域からの「なにかしら」の働きかけを感じ取りやすくなって、それが選択する行動を変化させたり、この世界ってこうだよね、という「とらえかた」に変化を生じさせたりするように思うのであります。

不思議ですが、ごく普通の人の中にも、気功などの訓練をしている人のように「意識が広がっている」人が結構おられるのであります。

その場合、「目に見えないものの力」の存在を、なんとなく疑わない世界観を持たれています。

信じてはいないまでも否定的ではない、といったスタンスの人が多いかもしれません。

そんな人であれば、ワタクシの施術は大抵上手くいきますし、長いお付き合いになることが多いようであります。

ワタクシの意識がどんどん広がって行っているからか、そんな人が患者さんとしてこられることが増えて行っているように思います。

あまりスピ系の方に偏らないようにとも思うのですが、今後どんな人と出会うのか、すごく楽しみなのであります。

さて今回は、「愛の秘力」についての新しい発見の話であります。

長野でのセミナーで衝撃的体験をした後も、ワタクシのエネルギーの流れ方はどんどん変化していっているのであります。

「心を開かせる」という作用が愛の秘力の特性でありますが、いつの間にやらワタクシのこの力も少し目覚めてしまっていたようなのであります。

調べてみると、幼少の頃のワタクシはこの力が少し開いていたようでありますが、長野に行くまでは完全に閉じていたのだと思われます。

おぉ!そうなのか、ということでうちの気功教室のメンバーを調べたところ、ワタクシと同じような状況の人を発見、であります。

ちょうど3月5日に大阪で、タオイストジャパンの1DAYワークショップ、

「ダンス&メディテーション」

があるので、そこへの参加をおススメした次第であります。

強力な「開く力」のもと、大きな収穫を得てきて頂きたいと思います。

さらにこの力は、生まれつきゼロの状態であっても、

「ソウルメイト」

がこの力を持っていれば、会っているうちに徐々に開いてくるようであります。

ワタクシの

「眠らず見ている夢の中」

だけで会うソウルメイトのこの力も、勝手に開いてきたようであります。

ソウルメイトの場合、影響を与えた側も力が増すようでありまして、夢の中の人のおかげで、ワタクシの力も少し増したということになります。

そして一定以上のこの力のある人の場合、ソウルメイト以外でも「かすかに開いている人」に対しては、もう少しだけ開いてあげられるようなのであります。

これは凄く面白い力ではないでしょうか。

この力を強く保持している人がほとんどいないのは残念だとしても、「ソウルメイトの組み合わせ」と「能力保持者」をうまく探し出して行けば、どんどん能力を開花させていくことができるように思います。

さらにびっくり。

おそらくこの力を強く保持している人が3人集まれば、ソウルメイトの関係を持たない非開花人でも、少し開花させられるように感じます。

おぉ、3人の超級能力者よ集うべし。

んでもって、開いてやっておくんなせぇ。

さすればもう、ありがたやーの嵐であります。

ということで、壮大な妄想もさすがにここまででありましょう。

毎日の助力に感謝します、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

重要人物

昨日、「ももの気功教室」の新年会をしました。

参加者17名ということで、一昨年の忘年会からはかなり人数が増え、とても賑やかになったように思います。

会の前、ワタクシは楽しみ半分、心配半分でありました。

なぜかというと、会の席をワタクシが決めて行ったからであります。

席が決まっている新年会。

それは結構、珍しい趣向だと思います。

そうしようと思ったのは、

「参加者がソウルメイトと親しくなる機会を増やすため」

であります。

気功教室は3クラスあるのですが、不思議とソウルメイトの組み合わせが全部、同じクラス内ではなく、クラスをまたいで成立しているのであります。

ですから、普段の教室では会う機会が皆無。

みんなで集まれる飲み会は、貴重な出会いの場であります。

ソウルメイトとは、前世や過去世で「濃い人間関係」を持つ人のうち、現生で時を同じくして生きている人、というくらいの意味であります。

誰でも4~5人くらいは一生のうちに出会うように、ワタクシは認識しております。

教室に来られているメンバーはソウルメイトへの関心が非常に高いようでありまして、それが新年会への参加率の高さになっているようであります。

会の席をワタクシが決めると皆さんに伝えたころ、ワタクシは自信満々でありました。

ソウルメイトだけでなく、テーブルごとの人間の相性の、最高の組合わせを作る。

そんなのは、「あっちの人」やら「彼方の人」に聞けばあっさり完了、そう思っていたからであります。

が、自分の考えを一切介入させず、あっちの人の意見だけを聞いて導き出したはずの席順は、意外なものになってしまったのであります。

それはつまり、ソウルメイトの組み合わせが近い席に成立しているはずなのに、あまりそうなっていなかったのであります。

それを確認して

「え??」

みたいな。

間違っていないか確認しても、合っている感触。

なんでだよぉぉ、と考え込んだのでありますが、深淵なるあっちの人の意見であります。

何かあるんだなと思って調べておりましたら、やっぱりあったのであります。

それが日記タイトルの、「重要人物」なのであります。

まぁ考えてみればソウルメイトだって、かつての人生で濃い関係になる前は、「初めまして」の間柄だったわけであります。

ですから、今回の人生でまっさらな出会いの人の中にも、大切な関係になる人は当然いるということなのであります。

「重要人物」でありますから、何かの意味で自分に影響を与える存在のようでありまして、これに関してはネガティブなものは該当しないようであります。

ソウルメイトの場合はネガティブなものもあるので、注意が必要、かも。

今回の参加者のうち、ワタクシにとっての重要人物もお1人おられるようでありました。

その方へのこれまでの認識ですと、かなり興味の湧く存在でありながらも、特別自分に影響を与えそうな気配は無かったのであります。

人との関りはそう簡単には読み切れないものなのでしょう。

今後注視していくことになりますね。

ワタクシの場合、今回の参加者のうちにソウルメイト2人、重要人物1人でありますから、結構高い濃度であります。

気功教室には特殊人が集まっているので、この濃度もあり得てしまうようであります。

気功なんてやりたい人は、どこかしらちょっと普通人とは呼べないでしょうから、特殊人。

ということで、今回の席順では、ソウルメイトと重要人物、そして単純な相性などを、完全なバランスで組み合わせてくれたはず、であります。

それでもまだ、席順をみてなんとなく心配。

このあたりのメンバーが合うかなぁ、とか。

でも結果、3時間くらいやっても終わりそうではない雰囲気だったと、おしゃべり好きなワタクシが思っていただけかも知れないのですが感じていたので、たぶん盛り上がったのでしょう。

やれやれ一安心であります。

うちの教室では、ソウルメイトの組み合わせに関しては、みんなには「何組ある」くらいしか伝えておらず、あとは内緒にしているのであります。

そしてもし知り合った人のうち、

「この人がソウルメイトで間違いない!」

と確信に至った場合は、たった一度、その正否をワタクシに聞くことができる、というきまりにしています。

なんて身勝手な取り決めでしょう!

そういうわけで、会の間ワタクシだけがソウルメイトの組み合わせの様子を見たりして、楽しんでいたということなのであります。

この状況はもう、最高の娯楽であります。

そしてたった一度の申告での間違いを恐れてか、まだだれもアタックしてこないのであります。

なので、この遊びはまだまだ続いてしまう展開であります。

実のところ教室への入会希望はまだ頂いており、新クラスも増やそうと思えば、の状況であります。

がまぁ、教室は結構大変ですし、このくらいの人数が良いかなと。

そしてワタクシにとっての重要人物は、他のところにもかなり居そうな気配。

新年早々、素晴らしい出だしであります。

今年はウクライナの戦争もコロナも終息して、いい年になって欲しいですね。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

自然な状態で長所を生かす

明けましておめでとうございます。

2023年、早速始まっておりますですね!

といいつつ、去年の話になるのでありますが、ワタクシは結構紅白歌合戦は見るほうでありまして、去年も全部ではありませんが見ていたのであります。

その中で、桑田さんやら佐野さんやら同世代5人組がでてきて共演する企画がありました。

ワタクシは少し前までは、桑田さんの音楽については今一つピンと来ていなかったのでありますが、エネルギーに敏感になるにつれて、その良さが分かるようになってきたようであります。

今回の紅白でも、その存在感はあまりに規格外で、他の方々が少々気の毒に感じたくらいであります。

彼の凄さは言うまでもないのですが、今の時点においても、かれのポテンシャルが完全に発揮され続けていることに、一番興味というか、凄さを感じます。

ミュージシャンも、一瞬で輝きを失ってしまう人がとても多いように思うからであります。

今から半月くらい前にも、矢沢永吉さんが出演されている番組を見ていて、かなり個性の強そうな生き方の中にも、多くの人を引き寄せる力や、人としての自然なやさしさ、人柄の良さをすごく感じて、とても嬉しく思いました。

自分の良い部分に焦点をあてて生きている人は幸せでありますね。

ワタクシなんかは、理想的な生き方からはまだ遠いように思うのでありますが、いろいろな人に会っていると、とてももったいないというか、その人の良さがあまり発揮されていない生き方をされているなと思うことがよくあります。

単純に他者への尊重がないとか、言葉が軽薄に感じられるとかいうように捉えてきていたのでありますが、一見施術者としてアプローチの範囲外と考えられるようなそういった「ふるまいかた」の中に、その人の不調と関りの大きな要素が含まれているように、近頃は感じるようになってきているのであります。

でも、「どうやれば」ということになると、ひじょーに難しいテーマですが、なんとなく、その人の自然な「ふるまいかた」を取り戻すことが、正解に近い、かも。

そしてさらにそのためには、その人の「良い部分」に光を当てるのがよさそう、みたいな。

かなりまだ、アバウトな話なのであります。

さてそこに登場するのが、「八卦盤」というものであります。

えー、なんでこの書籍の画像を、と思われるでしょうが、八卦盤の画像をネット上で探すと、この画像が一番エネルギー的によいと思ったからでして、他意はありません。

が、チア老師のまわし者であるのも否定できないのでありまして、でもまぁ、いいでしょう。

とにかくこの図形であります。

図形の真ん中のイラストは、八卦盤により様々なようで、対極図になっているものが一般的かも。なぜかエネルギーはあまりかみ合わない感じだけど。

八卦盤は最強の防御陣とも言われているそうでありますが、ワタクシが「彼方の人」に聞いた所によると、何かの良さを引き出す仕組みのようであります。

「あっちの人」じゃなくて「彼方の人」になったのは、ワタクシが意図したわけではないのでありますが、いつの間にかワタクシの問いに答えてくれる主な相手が変わってしまっていたからでありまして、問いの内容により「あっちの人」が答えてくれることもある、ということなのであります。

どうやら「彼方の人」の方が、より高次元の存在のようであります。

話は戻りまして八卦盤。

何かの良さを引き出すのであれば、誰かの良さも引き出してくれるのかを調べてみると、そんな使い方も可能であるよう。

が、それに関してはさほど向いている訳ではないような反応。

じゃあなにか、変化を加えるべきなのかというと、八卦盤の図形は(真ん中の意匠以外は)完成されたもののようで、それもなんか違う。

であるならば、もっと他の図形やらで作成可能なのかを聞くと

「イエス」

なんだそう。

ほほぅ、これはぁ、きちゃったでしょ? 

次の展開が。

こういうときの「存在」の方々の知性には、すさまじいものがあります。

エネルギーの世界に衝撃を与えるようなものが飛び出してくる可能性がある、かも。

どうやら図形プラス天然石6種の組み合わせ。

6種の石の力は均等にする必要あり。

石の力を測る能力、これについてはワタクシの得意分野ど真ん中。

エネルギー的な領域では、一番の大好物。

今まで作成したグッズで今回のものの価値は何番目か、を聞いてみる。

おふ、2番目。

一番目は、全部の運気を上げるアイテムだとか。

まぁあれは確かに有用だけど、残念。

というわけで、お正月休みが終われば、作成に取り掛かる予定。

でも不思議。今までに使ったことのある石が1つも含まれていないのだそう。

というのも、効果を引き出すエネルギー的領域がこれまでのグッズよりも上だからだとか。

この新たなグッズで、どなたかの「良い部分」を引き出す。

一体どうなるのか、楽しみであります。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!

原動力

サッカーのワールドカップは多くの試合が終わり、優勝を目指す戦いも佳境に入ってきています。

先日はブラジルも敗戦しました。

ワタクシのようなサッカーの素人でもブラジルのサッカーは見ていて楽しいと思えるので、負けてしまって少し残念であります。

でも、それよりもっと感じてしまうのは、必ずどちらかが負けてしまう戦いの切なさであります。

PK戦になって、ブラジルで最後に失敗した選手がその場に崩れ落ちたシーンが目に焼き付いています。

それでもやっぱり、戦いを挑むべきなのか。

それが人間の、特に男の「サガ」なのか、戦うこと、相手より勝ることには凄く頑張りやすいようでありますね。

ワタクシもなぜか、戦争映画なんかも好きですし、娯楽で読む漫画なんかも何かの意味で戦う内容のものが多いのであります。

戦うことが魂的なものなのか、それとも集合意識によるものなのか。

そういう意味で仕事に関しては、うまく効果を出せれば患者さんも自分もうれしい気持になれる内容なので、その点に恵まれているように思うのであります。

ただそんな仕事でもまた、とても憂鬱になるケース発生。

言うまでもなくそれは、うまく改善させられなかった症例であります。

今回のものは、とてもお若い方への施術であることと、施術以外にいまのところ打開策がない症状であること、加えて症状によるダメージが、その方の人生を左右する影響力をもっていることから、なんとしても成功させなければいけない部類のものであります。

最初の時点でのワタクシの判断では、問題なく解決できると考えていましたが、ダメでした。

その症状に、ワタクシが把握できていない、難しい問題が関係しているということなんでしょう。

とはいえ、何のためにこの仕事をしているのか? と思わずにいられない気分であります。

自分でも、成功しないケースに対して、そこまで落ち込まなくてもいいようにも思うのであります。

そこにも何か、潜在意識下に大きな思い込みのようなものがあるのかも。

でもま、この苦い思いが、前進への原動力でもあります。

今の段階でも、考えうる限りの理想的な施術手法にはなっているように思うのでありますが、いつもそう思いながら、長くても半月くらい先にはまた何か思いつくのも奇妙なこと。

たぶん、エネルギーを感じ取る感覚がより敏感になってきたことが、その展開を可能にしてきてくれたのでしょう。

あっちの人によると、ワタクシの「気」に関するポテンシャルは、ほぼすべて発揮されているようで、もうこれ以上のものはほとんどない、のだそう。

鉱脈は掘りつくされました、であります。

でも残りわずか、まだ目覚めていない「特殊能力」があるのだとか。

おぉ、ここにきてワクワクキーワード登場!

秘力、じゃなくて特殊能力?

そうであります、完全に別物でありますぞよ。

秘力はその名前の通り「秘められた」能力でありまして、生まれつき持っているけどほとんどの人はあまり活用できていない力であります。

前回も書いた通り、身体の5つの部位がそれぞれ担う5種類の力があるように、今の段階だと推測しているもので、力の性質は概ね分かっているのでござんす。

が、特殊能力とは、今のところ何がその能力の発揮を担うのかも分かりませんし、秘力のポテンシャルがそれほど高くない人でも、保有している場合があるらしい。

そしてその能力の性質も人それぞれのようでありますが、「生まれつき持っている」という点は秘力と同じようであります。

調べてみると、ワタクシも1つだけ特殊能力をもっているようでありますが、先日までそのことに気が付いていませんでした。

なぜかっていうと、色々なことをエネルギー的に調べている一環で「あること」を調べてみた時に、「おぉ、そんなことも調べられるのか!?」と思った程度で、単にいつもやっているエネルギー的検査のおかげで調べられているのだと思っていたからであります。

つまり、ワタクシの場合はこの「特殊能力」も単に調べられるというだけで、言ってみればしょぼい能力であります。

がなんと、まだ未開拓の「特殊能力」が1つあるとの「あっちの人」の意見でありまして、そっちにつきましては内容はベールに包まれているものの、何かに対して作用する力、つまり影響力を行使する種類のもののようであります。

そしてさらに、その力は、ある人との関りの中で目覚めてくる、ような反応。

いやー、これはまだまだ楽しめそうであります。

今後長く関わっていくことになりそう?な、ユニバーサル・ヒーリング・タオ、もしくはタオイスト・ジャパンという組織も見つかったことですし、来年もより一層突き進めそう。

気功教室でも、目を見張る成長を遂げている参加者もいて、ワタクシも教える側として油断禁物、さらなる進歩が必要であります。

えーと、今日は反省の投稿の予定でありましたが、「能力」について書き出すと、つい元気がでる方向に変わってしまったのでございます。

が、まぁ暗い内容もつまんないですし、良しとするのであります。

さて、今回が今年最後の投稿になると思います。

この日記というかブログを読みに来て頂いている方は、みなさんかなり特殊人だと思いますが、みなさんにとって面白い投稿ができるよう、来年も良いネタを探したいと思います。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!