今回の投稿は、ヨガや気功の訓練者や興味のある人、そしてワタクシのようなエネルギーキチガイ、スピリチュアル狂以外の人にはたぶん、どうでもいい内容であります。

タイトルにある通り、ドキュメンタリー映画「聖なる呼吸」についての感想なのであります。

「聖なる呼吸」の内容は、ヨガを現代の形に確立したクリシュナマチャリアと彼の子や直弟子についての話。

直弟子や子らがクリシュナマチャリア在りし日の話などを披露してくれている。

ワタクシは昔話にはほとんど興味なし。

でありますから、この映画を通して注目していたのは

「登場人物の背骨の中をエネルギーが通っているのかいないのか」

だけであります。

ワタクシの認識では、ヨガ・気功において背骨の中に強いエネルギーが通っていることは、訓練により大きな果実を得たことの証明であります。

そして「通っている」人物がごろごろ出てきたことに、まず驚嘆させられたのであります。

「ごろごろ出てくる」ことが意味することは、背骨を通す手法が確立されているということなのであります。

ワタクシはヨガについてはほとんど知らないので、例えば国内でヨガを指導している人達のなかに、どの程度「通っている」人がいるのかも、全然分からないのであります。

でもおそらく、非常に少ないのではないかと推測する理由は、そんな人に会ったり、うわさを聞いたり、画像を見たことが一度もないからであります。

気功の実践者においても、「通っている」人は少ないというか、まさに希少な存在であります。

国内の有名な実践者においては、まだ一人も見つけたことがないのであります。

いえ、正確には先月、

「あ、、通りかけている・・・。」

という、言ってみれば「羽化」の最中にある、ある人の一場面に出くわしたところでありますが、その一例くらいであります。

そんな「通っている」状態に、どうして強い関心を抱いているのかというと、ワタクシの先生がそれを成し遂げておられたという事と、それが原因で亡くなられたのではないかと思われるからであります。

先生が亡くなられた当時のしょぼいワタクシでは、先生のエネルギーがどうなっていたのかは全く分かりませんでした。

でも今になって、元気なころの先生の雰囲気をイメージで再現して調べると、確かに背骨の中をエネルギーが強く流れているように感じることができます。

過去のことをなぜ調べられるのかは、ワタクシにも分かりませんし、「ほんまかいな?」と言われれば「間違いない」とまでは言えないのでありますが、患者さんが胎児だったころのエネルギーなども調べたりして活用しているので、単なる妄想でもないと思われるのであります。

さて、先生が背骨の中に通されていたエネルギーは、本来背骨の中には流れていない、ある意味「粗雑」ともいえる、手足などにも流れているエネルギーであります。

ワタクシの感覚によるなら、「中枢神経系」に自然な状態で流れているエネルギーは、手足などのものとは質的に違うのであります。

本来と違うものが流れた時に脳や脊髄に負担がかかることは、クンダリニー上昇にリスクがあるとされていることや、先生に起きたことを考えると、容易に想像できます。

でありますから、ワタクシはそのような手法は行うべきではないと考えていたのであります。

が、映画をみて「完全に間違った認識」だったと理解しました。

なぜなら、クリシュナマチャリアやその子供たちが背骨に通しているエネルギーは、まさに手足のエネルギーとほぼ同質のものだったからでありますし、そしてまた感覚的に調べてみても、健康状態は良いと感じたからであります。

でありますから、背骨に安全な形で強いエネルギーを通す手法は、確立されたものであることは間違いないでしょう。

ただ、であるならば、「逆に疑問点が生じる」というのがこの映画の一番面白いというか、ミステリアスな部分なのであります。

といいますのは、登場人物の中で、クリシュナマチャリアと同じ質のエネルギーが背骨に通っているのは「実の子」のみで、他の弟子は通っていないか、もしくは義理の弟のアイアンガーがそうですが、通っていても違う質のエネルギーによるものだからであります。

アイアンガーはクリシュナマチャリアの指導方針に反発して彼の下を去り、独自の手法による「開通」を成し遂げたようであります。

中国三千年の歴史秘話にでてきそうな、「門外不出」やら「一子相伝」のような話なのかもしれません。

クリシュナマチャリア流「開通」手法が、どのくらい世の中に広まっているのかは分かりませんが、独自の手法で臨み、失敗する人は少なくないかもしれません。

ワタクシの先生のように、であります。

そういえば日本の仙道で有名な高藤さんも同じ失敗をしていた可能性があります。

最期は狂人になって、病院にいたという噂があるので・・。

クリシュナマチャリアと先生が、背骨を通すのに利用したエネルギーの質はおそらく同じ。

ではなぜ先生は失敗したのか。

ワタクシが想像している通りに、先生が「粗雑なエネルギーを通す手法」で失敗していたとすると、その理由はエネルギーの質ではなく、流れていくルートの確保が不十分だったと、一つの仮説として考えることができます。

ここでは詳しく説明しませんが、気功とヨガの訓練方法は似ている部分もあり、明確に違う部分もあります。

その中で重要と思われるのは、確保していくルートの違いであります。

その違いにより、大きなエネルギーが背骨の中を上昇した後に、脳からスムーズに送り出すことが出来ていなかったことが先生が失敗した原因だと推測することに、無理はなさそうであります。

他にも失敗した理由になりそうな要素はあります。

それは、マチャリア流開通を成し遂げている人達は、みんな意識状態が非常に深い、ということです。

意識状態の深さとは、本来潜在意識下にある領域のうち、おぼろげながらも顕在意識下に置くことができている範囲の広さのことでありますが、たぶんなんのこっちゃ分からない説明であります。

意識状態が深くなければ、例えば背骨の中に本来流れているような繊細なエネルギーは感じ取ることが出来ないと思われます。

普通にヨガの鍛錬をやっている人や、マチャリアの直弟子でありながら開通していない人、そして当時の先生の意識状態の深さは、一般の方と大差ないと感じます。

ということは、マチャリアは実の子に対して、特別な内容の訓練を施していたということになるのかもしれません。

それがどんな内容だったのかは、推測することはできる、かも。

というのは、全く別の業界にも開通者がいるからであります。

それは心理学の業界。

実際にお会いした人は一人だけですが、他にもおられるとネット上の画像などを見ていて感じます。

業界全体だと人数が多いので、ひょっとすると5人以上おられるかも。

その方々の背骨の中に強く流れているエネルギーは、アイアンガーと同じもの、つまり本来弱いながらも背骨の中を流れているエネルギーであります。

でありますから、マチャリアが背骨に通しているエネルギーとは違うのでありますが、意識が深いということに共通点があります。

心理の専門家がエクササイズとしてやっているだろうことは、おそらく「自分の内面に向き合うこと」でしょう。

通常のヨガの訓練者が熱心に肉体面への探求を行っても意識は深くなっていない。

ならば、足りない訓練の方向性は明らかです。

ただ、マチャリア流開通者は、心理学の人やアイアンガーに比べれば、意識状態はやや浅い。

意識状態の深さと、意識でのエネルギーの操作をうまく組み合わせた開通方式かもしれません。

おそらく、背骨の中に強いエネルギーを通すだけなら、心理面へのアプローチの方が効率がいいのではないかと思います。

なにしろ、背骨の開通を意図していなくても通っている訳ですから。

ただ、気功やヨガの訓練者が背骨を通したのなら、そこから得られる果実はもっと大きなものになります。

それは「丹」の生成やそれ以降のルートの開発による、肉体面の強化です。

心理学方式の開通の場合、肉体への影響はさほど現れていないように感じますので、ワタクシ的にはとても「もったいない」という印象。

「丹」については気功の訓練によるものと思っていたのですが、「聖なる呼吸」の登場人物にも丹が2つある人がたくさんいたので、そうではないようであります。

この映画の中で、一番印象に残っているのは、冒頭に登場する若いヨガ・インストラクターであります。

彼は映画に登場したどの開通者の弟子でもなさそうですが、しっかり背骨の中が開通しています。

なにか、その程度の訓練者は珍しくもないですよ、と映像企画者が言っているかのよう。

ヨガの訓練者への、何らかのメッセージのようにも思えるのであります。

よりよい教えを、みんなのために。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!