先日、東京裁判というドキュメントにもとづいたNHKのドラマが

やっていました。

 

世界各国からあつまった判事11人が、第二次世界大戦における

日本の指導者達の罪を裁く、その過程の考え方・立場の違いによる

せめぎあいを再現したものです。

 

裁定を下す際に、一つの論点になったのが

「日本の平和に対する罪」というもので、平たく言うと

「侵略した罪」です。

 

この罪を問うには、前提として

「侵略してはいけない」という国際法が必要ですが、

大戦前、そのようなきまりがまだありませんでした。

 

そのため、あとから作った法律で裁くことはできないという

法律家としての当たり前すぎる判断に則って

侵略した罪の部分に対しては無罪とする判事と、

いろいろな言い分があっても結局は日本への抑えきれない

感情から、有罪を主張する判事に意見がわかれました。

 

法律というのは、完全に理論的なものであって、

概ね意見が一致するかと思えば全くそうではありません。

 

人の正義とは、感情jによっておおきく判断が変わってしまう

ことがドラマからとてもよく伝わってきました。

 

また別の番組で東田直樹さんという自閉症の作家さんの

ドキュメントが放送されていました。

 

ご自分の心と徹底的に向き合うことによって

至ったのかなと思われるような世界観がそこにはあって、

 

「夢から覚めて、いつもと変わりない朝に感謝することから

僕の一日は始まります」

 

というような表現がでてきました。

 

なんかもう、理由はわかりませんが泣きそうになりました。

 

普通に生きている人間が「感謝して」というのとは

表現されていることの重みがちがいます。

 

そして東田さんは、どんなにつらい状況でも、人は幸せに

なれる、と言っておられました。

 

僕もそうなんですが、普通の人の多くは、足りない部分に

意識がむくことがよくあると思います。

 

でも、すでに与えられている幸せに目を向ければ、素晴らしい世界が

そこにある、ということだと思うのですが、

 

そういう風に考えようというのではなく、自然とそういう思考になる

ところまで、辛さと向き合ったからこそ至った世界だと感じました。

 

東田さんが自閉症と診断されたのが13歳のときだったと

番組で言っていたと思うのですが、その時、あまりの大きな苦しみ

から、どんなアドバイスにも耳を傾けられないくらい打ちのめされていた

という彼が、内面のどんな過程を経て今の心境にまでなれたのか、

とても興味がわきます。

 

彼の意識レベルは、普通の人よりずっと神様の領域に

近いようです。

 

世の中は、人の感情によっていろいろなことが起きています。

ダン・ブラウンの著作の中に、

「神様は人が最終的にうまく生きることができるようにするため、

あえて苦難を与えている」

というような話がでてきます。

苦難は、自転車に乗れるように練習している際にこけて感じる

痛みと同じだということ。

 

心理学も瞑想も、とても進歩している現代です。

 

僕ももちろんですし、多くの人がもっと、

自分のつらい心理と向き合う時間を積極的にとる

べきだとおもいました。

 

そうしていけば、苦難が新しい苦難を引き起こしている

今の世界のあり方が、苦難が希望を引き寄せる世界に

変わっていくように思います。