意図していない思考

先日天王寺から路面電車、いわゆる「ちんちん電車」に初めて乗りました。

ゆっくり走っていくからか、なんとなくゆったりした気分になって、なかなかよろしいものでありますね。

そして素晴らしいのは、およそ5分に1本くるという、待つのが大嫌いなワタクシには最高の乗り物であります。

でも引き返してくるときには、ギュウギュウの過密状態になっておりましたので、感染がさく裂している今の大阪ではちょっと心配かも。

いつも通勤やら通学やらしている方々、本当にお気をつけくださいまし。

さて今回の投稿は、このブログ史上もっとも有意義なものとなる予定でありますが、とくに「どこかしら楽しくないような毎日」を送っている方には、得るものがあるといいなと思います。

毎日治療所でみなさんの体力・生命力を調べているのですが、おそらく全体の3割くらいの人の数値が調べられない状態になっていることがはっきりしてきました。

なぜ調べられないのかというと、そんな人の場合には、まず最初にケアすべき対象が体の外側のエネルギーという状況になっているからであります。

身体の外側、いわゆるオーラの領域に影響を与えているものとは、感情・記憶・魂・霊などかなと考えているのですが、その点についてはまだまだ解明できてはおりません。

が、とりあえず、そのへんに関わるケアすべき事態が起きている、ということであります。

少し前までは、この状況に対してワタクシがエネルギー的に操作することで、とりあえず解消し、そのあと体に現れてくる「次にケアすべき問題」に取り組んでいたのであります。

一番にケアしてほしいところが体の外側だから、そうせざるを得ない、と考えていたわけであります。

もちろんその対処が効果的なケースもあるのですが、治療院に来るたびに同じ状況になってしまっている人が少なくないとわかってきたのであります。

体の外側をまずケアすべき状況というのは、何かの突発的な事態とか、だれかとのけんかなどで、だれにでも起きうることであります。

でも、毎回同じ状況になってしまっているとしたら、その人は常に「思考に振り回されている」ということが言えそうです。

意識して何かを考えようとはしていないのに、勝手に脳が思考を動かしているというようなことは、だれにでもごく当たり前に起きていることです。

脳は勝手に考えてしまうような習慣になってしまっているようであります。

でもその思考が、一定以上の不快感をもっていて、生活を楽しめない要因になったり、不安や怒りを引き起こしている場合は、とても大きな問題になります。

まず体の症状が改善していくのを強くブロックしますし、場合によってはどんどん心理を落ち込ませていき、社会生活を送れないようになってしまう可能性があります。

この状態にある人は、自分の周りの状況が少し悪くなるだけで、一気にうつ状態にまで下り坂を転がり落ちていく危険があるように思われます。

分かりやすく言えばうつ予備軍なのであります

ではこの状況をどうすればいいのか、でありますね。

何人かに試していただいた段階で、まだ確実にとまでは言えないのですが、言ってみれば「思考を見張る」ことが有効であるようです。

問題となっている思考は、「勝手に湧き出てきた」思考であって、自分から挑んで考えているようなものではないと思われます。

人間の心理にとって、「意図しているものか、そうでないのか」は非常に大きな違いがあるようです。

ワタクシは何年も「無」になる訓練をやってきているので、何かをしようと「意図」している自分こそが、「本当の自分」だと疑わずに思っています。

「意図した思考」は、実際の行動や問題の解決の方向につながっています。

それに対し、「意図していない思考」の中でも特に良くない内容の場合は、単にくるくる回り続け、どんな行動にもつながっていかないか、行動につながったとしても前向きではない選択をしてしまう事が多いように思われるのであります。

治療院に来るたびに生命力を測定できない状態になっている人は、「意図していない思考」を野放しにしています。

ですからまず、自分が何を考えているのか、もっと自覚する必要があります。

楽しくない思考、考えたくないのに湧き出てくる思考に気が付いた時、どう対処すべきなのかは人によって違うのですが、合う人の割合が高い効果的なパターンが2通りあります。

1つは、「どうしてそう思うのか」という問いを、自分自身にすることです。

この問いは、答えを探し出すことが目的ではありません。

「どうしてそう思うのか」が分からなくてもいいので、自分にそう問いかけると、自分の思考を「意図したもの」にすることができます。

「意図した思考」はとても力強いので、勝手にくるくる回っていた思考は、すぐに力を弱められてしまうか、消えてなくなってしまいます。

もう1つは、心の中で家族に「ありがとう」と感謝することです。

特に関係の良くない家族がいる場合は、心の中でその人に感謝するのが効果的かもしれません。

人の心理が不安定になる要因として、家族とのかかわり方が大きな影響力をもっているようであります。

それは人のコミュニケーションの土台が、家族とのかかわりにあるからだそうです。

ですから、一瞬でも家族とのかかわり方をよくする方向に心の力を使うと、意図していない思考は急に無くなったようになります。

ただしこのパターンが効く人の場合には、であります。

どんなことを自分に言い聞かせれば精神的に安定するのかは人により違いますしいろいろなパターンがあるので、なかなか難しい課題であります。

うちの治療院に来られる人の場合は、ワタクシが調べて選んでいます。

ご自分で選ぶ場合は、まず先に挙げた2つを試してみたらいいと思います。

この取り組みを始めて2週間くらいたつと、かなり大きな変化が体にも出てくるように思われます。

心が何を考えているのか、何に焦点を合わせているのかは、どんなことよりも大切だとワタクシは考えております。

なぜなら、自分の人生をどう評価しているのかは、いつも考えている内容そのものだと感じているからであります。

ですから、一見うらやましいような立場の人でも、実際には幸せに感じていなかったり、逆に大変そうな生活を送っている方でも、内面はとても楽しいということが起こりえるのであります。

その観点から判断すると、治療院にくるたびに生命力が測定できない状態、つまり意図していないネガティブな思考が勝手に頭の中をくるくる回っている状態というのは、人生をとてもつまらなく、あるいはつらく感じているということになると思われます。

なぜかいつも不安に思うだとか、特になにも起きていないのに心配だとかいうような性分は、結構親子で似るということもあるようでございます。

もしそうなら、そんな人がいきなりウキウキワクワクになるのはかなり無理があるのかもしれません。

でもほんの少しの心がけで心の習慣を変えるきっかけになるなら、すごく価値がある取り組みではないかとおもうのであります。

そしてこの方法により、なぜか改善していかないというような方を激減させられるように期待しています。

4月に入って、ワタクシが気功の先生から学べなかった高度な訓練のやり方が自然と分かってきて、そして簡単にクリアできてしまいました。

不思議なことは、無の意識状態が勝手に引き起こしてくれるようであります。

「悟り」の境地に興味があって始めた「無」になる訓練ですが、やっていくうちに現代人に一番必要なトレーニングだと確信し始めています。

「何も考えていない状態」には、逆に自分で考えつかないような英知がどんどん入ってくるようなのであります。

そしてまた、すごく前向きな状態がごく普通になってしまうようでもあります。

気功教室なんかより、「無」になる訓練をする教室を開いた方がいいのかもしれないでござんすね。

ま、そういうことでありますので、今後も頼みますぞ、神様仏様、無の意識殿!

精神の問題とアレルギー

今日のトピックは、精神とアレルギーは関係が深い、とかいう趣旨ではございません。

まぁ、そんな説が根強いことは認識していますが、今のところその説を実効性のあるメソッドにまで落とし込めている手法がなさそうであります。

今回はただ、体への影響の出方がすごく似ているという話なのであります。

こやつら、精神的なトラブルとアレルギーは、モグラたたきのモグラのようにふるまうことが、生命力を調べているとわかります。

例えばワタクシは横綱級アレルギー体質でありますが、通常の生命力は3000以上になっています。

通常1000くらいあればお元気な体調という、ワタクシの感覚によりはじき出す一つの目安の数値であります。

この3000という状態から、生のエビを食べて口の中がなんだかおかしな具合になった時のことを、単に「思い浮かべる」と、一気に10くらいまで急降下します。

単に「思い浮かべた」だけなのにであります。

人の脳みそは、リアルと想像の見分けがつかないというのはどうやら本当のようでありますね。

梅干しを食べるのを想像しただけでつばがでてくるのと同じ現象です。

急降下したのは、体に入ってきた刺激に対してうまく適応できていないことを表しています。

ワタクシの場合はそれがアレルギー反応という形で出てくるわけでありまして、その瞬間10という数値になっています。

何かの精神的な問題をもっている人が、その問題について考えると、同じような変化がおこります。

つまり生命力が急降下するのでありますが、少し違う点は、数値が測定不能になることもある、ということです。

測定不能というのは、体の周りのオーラの領域といいますか、エネルギーの領域にすぐに対処が必要なエネルギーの停滞が起きているときの反応ですが、言ってみれば精神面がうまく適応できていない状態を表しています。

精神的な問題の場合は、このエネルギーの問題を解決した後に測定可能になった生命力を調べると、やはり大幅ダウンとなっています。

つまり精神面だけでなく、体のどこかにもうまく適応できていないところがある、ということになりますが、ここではとりあえず「急落する」という反応について話を進めます。

生命力が急落しているとき、体の状態はつい数秒前とは全く違った状態になります。

ですから、体がワタクシに求めてくるケアも、全く違うものになります。

アレルギー反応の場合、ホルモン系もしくは免疫系のどちらかがうまく機能しなくなっているのですが、それらが機能しない原因は他の部位にあって。そこをケアしてほしい、という反応になることが多いです。

精神面の問題の場合は、まず空間のエネルギーの対処をして、そのあと体のどこかのケアをしてほしいという反応に、だいたいはなるようです。

つまり、通常の状態で患者さんをケアしても、アレルギーの問題がなかなか解決されないのは、体にアレルギーの問題が表面化していない状態だから、という可能性が高いのであります。

ただ、こういう操作をやっていると、ワタクシでも「これはまずいんじゃないか」と思う部分があります。

例えば患者さんに、何かを想像してもらって、空間のエネルギーに何かの反応が出てきたとして、それってワタクシだけが感じている反応であります。

いくら説明しても。「はぁ、そうですか・・?」みたいな、何を言われているのかがもうひとつ理解できないという患者さんが大半でしょう。

この施術者が言っていることが本当だったんだ!

となるには、アレルギーやら精神的な問題やらが、はっきりと改善する必要があると思われます。

でありますが、こやつらもぐら族はなかなか手強い種族でありまして、根絶は至難の業かも。

そして精神と関わる問題については、ワタクシが外からケアすると同時に、患者さん本人の、心の中でのイメージ療法のような取り組みも必要になることが多いように感じだしているのであります。

どんなイメージ療法がいいのかを探し出すのがこれまた、なかなか骨の折れる作業なんであります。

なんでしょうか、今回は単なる愚痴の投稿になったのでありましょうか。

どうでもいい話ですが、さっき「作業」と打ち込んでいて、昔アルバイトの面接で即採用になって、作業着を受け取りました、と書面に書いてくれと言われたとき、「作」の字が出てこなくてすごく恥ずかしかった出来事を思い出しました。

最近は出先で漢字を書くということがまずないような時代ですけど、ますます漢字を忘れていきそうな気もするのであります。

あぁぁ、思い出があまりにも昔になっていくぅぅ。

2000年って、すでに20年以上前ですって。

噓でしょ?