久しぶりの投稿であります。

ひと月ほど前、研修で行った北海道で歩いていると、猛吹雪で前が見えない。

土地勘のないところではGoogle map頼りのワタクシでありますが、スマホの画面も全然見えない。

おぉ、やっと見えた、と思ったら逆方向に歩いていたことが判明。

やばい、遅れる、と思って反転した瞬間すべって転んだとき、自分でもびっくりした

「イテッッッ」

とでかい声。

なんですか今のは?

痛みに耐えるための気合かしら。

奇妙だけど、まぁいい、とにかく急がないと。

その後研修先で整体を受けるも、打撲の痛みで効果の判定できず。

あんた一体何しに来たの?的展開。

でも問題はその後であります。

右脇腹強打の影響か、左肩に痛み発生。

それが何をやっても改善しない。

整体師の「こけん」にかかわる事態であります。

でありますが、実はワタクシの左肩は難物。

以前東京のレジェンド先生のところに研修に通っていたときも、ついでに治療を受けていたのでありますが、2年以上全く改善せず。

その後いつのまにか改善した古傷なのであります。

まぁ良い機会だということで、徹底的に調べてみたところ、

左肩周辺の骨の

「骨髄」

に問題ありの反応。

アプローチしてみたところまずまずの感触。

そんなところは通常調べない。

でも、人間の体はどこでも問題が起きる。

それがめったに生じない問題の場合。

施術は難航する。

しまいには

「どこを調べればいいのか?」

というこまった局面に突入。

実のところ、わざわざ北海道まで行ったのも、ワタクシにとって

「体の未知のメカニズム」

を見つけ出している人がいる、との観測に基づいてのことであります。

何しろ、知らない種類の不調は見つけようがないのであります。

これについての結論はまだ先にならないと分からないのでありますが、久しぶりに整体を受けてみると、新しい発想がいくつも浮かんできて驚いているところであります。

自分だけで探求するのも悪くないですが、やっぱり新しい風は必要。

多くの人が「風」を待っている。

どこか知らないところに連れて行ってくれるのを待っている。

ワタクシも待っている。

行きたいところはかなり決まってきている。

待っている「もの」も決まっている。

待つのはヒジョーに苦手でありますが、待つしか手がないものも。

もしあなたが

「わたしには一切風が吹かない」

と思うのなら、

「もっと自分自身を見るべき」

だとワタクシが思うのは、やはり超感覚カウンセラーH氏の影響。

昔のことを振り返る。

ワタクシは、父親によく叱られていた。

「隆行ちょっと来い」

と言われるたび、

「また怒られるんだな」

と思っていた。

でも不思議なことに、何を怒られていたのかあまり覚えていない。

覚えているのは、例えば野球の練習の成果が試合で出なくて気持ちが落ちているときに、その気持ちの弱さを

「なさけない」

といわれた事など、気持ちの部分への叱責。

ワタクシの親は理不尽な要求も体罰もなく、自分の受けた「しつけ」は肯定的に考えているワタクシであります。

それでも、ワタクシの内面には親が植え付けたと思われる

「縛り」

はたくさん存在しているようであります。

指摘されてみれば、確かに否定できない力がワタクシを支配しているのであります。

それを知って目を向けた今、それは「風」を生む熱になる。

ワタクシも、ワタクシをとりまく状況も、変わらざるを得ない。

やっぱり状況は自分の内面の反映だと思われるのであります。

何かを指摘してくれる人がいないなら。

自分で自分を見るしかない。

自分の気持ちの動き出す深いところを。

何も考えずにやっているいつもの行動にも、内面の動きが大きく関わっていることが少なくない。

例えばうちの治療院に患者さんが入ってくるとき、いつもと同じような動きをみんながする。

いつも明るく入ってくる人、かならず顔を伏せている人、毎回遅れるひと。

たんなる習慣にみえて、内面の反映は大きいのであります。

内面の動きに気が付いたなら、「風」はきっとやってくる。

もちろん自分の内面を自分ですぐに癒す術はない。

ワタクシにも癒せない重大問題はあるのであります。

この世で一番嫌なのは、自分の顔を見ること。

20年前に右目を失明すると分かったあと、徐々に瞳が透明ではなくなってきたと知った時の気分は忘れられない。

正直言って、さっさと死んでしまいたかったのであります。

今でも自分の姿を見ると、自分自身への評価が一気に0になるのを感じる。

単純にワタクシは美しいものが好きなのであります。

自分の顔を愛せないのはこの上ない苦痛。

意識を深く持てるよう訓練しても、まだ肉体をとても重要に捉え続けているのであります。

でも考えてみれば、この出来事をきっかけに真剣に気功を始めたわけでありますし、10年以上に渡り大した上達がなくても気功を諦めなかった理由なのであります。

これもワタクシにやってきた「風」なんでしょう。

苦痛ほど強い風はない。

それは、運命?

ワタクシはですから、気功教室であまり練習しない人は、

「練習するための理由がないんだな」

と思っています。

考えてみればそれは、幸いなこと。

一方で、熱心に取り組める人にはそれだけの理由があるのかもしれず、もしそうなら大変なようでもあります。

でもきっとそれは、本当の意味で行くべきところに誘う風。

風をぜひ、前進の原動力にしてもらいたい。

あの時の強い風に、複雑な心境ながらもワタクシは少し、感謝します。

そしてまだまだ、風はやってきそう。

あなたにも、できれば苦痛のない風がくるよう願います。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、ゴータマの神殿!