先日、ワタクシの同志とトラブりまして、あやうく大切な人間関係を失うところでございました。

いやー、あぶないあぶない。

ワタクシの特に何の意図もないやり取りが、相手の不愉快を生じさせて、その相手の言葉がワタクシの中にある「地雷」を炸裂させるという展開。

言ってみれば出遭いがしらの「事故」のようなものであります。

こんな風にして失う関係も世の中にはあるのかな、と想像させられました。

同志? そう、同志でありますよ。

その人との関係を表現する適切な語彙がなにか、書く時に調べてみたのであります。

友人とか知り合いとか・・、結構見つけ出すのに時間がかかりました。

なぜなら同志ってあんた。

あまり使わない言葉であります、共産国なら使うだろうけど。

調べてみると、他にも同志はいるようでありますが、ごく「少数」。

今後のワタクシの活動に無くてはならない存在ということのようであります。

「この人とはどんな関係?」かをピッタリした言葉を探すことで把握することができる。

例えば普通の患者さんなら

「患者さん」

になるけど、場合によっては

「友達」

となることもまれにある。

気功教室の参加者でも、普通なら

「生徒」

だけど、

「友」

となったりする。

友達と友は少し関係性が違うらしい。

対等の関係の場合は、相手側から見ても同じ言葉がピッタリになる。

ワタクシの

「代わりがいない人」

も、そうなってるはずなんだけど、現実には今のところなっていない。

なんでだろ?

さて今日は、余談の続きみたいな内容でありますが

「感覚が使えなくなった」話。

ワタクシが使っているような検査スキルは、例えば「あっちの人」にチャネリング的に聞いてみる場合でも、肉体面のエネルギー状態などによって使えない場合がままある。

例えば朝起きた瞬間には使えないことが多い。

疲れてくると、集中を高めないと間違えやすい。

あと、ワタクシと関係性の大きい相手がこっちに意識を向けだすと、急に使えなくなる。

これは結構、困る。

こういうのは、当然他の人にも起きている。

以前気功教室の参加者の足にエネルギーが通っていないということで、特殊なジェルでケアをして通うようにしてみた。

すると通っていない状態がその人にとっての「普通」になっていたので、丹田に気を集めるという基本的な気の操作ができなくなった。

スキルというのは、安定した状態を前提に形成される。

だから、エネルギーの流れるバランスが変わるだけで、いつもやっていることでも一時的にできなくなるようであります。

さてワタクシは、自分の体から新たに見つけ出した「問題」を、連休前の夜に調整しました。

その問題は、ワタクシの体全体への影響力を強く持っているらしかったので、しばらくの間「感覚」がつかえなくなるかもしれない、との観測から、調整できるタイミングを待っていたのであります。

調整後。

見事なくらい何も分からない。

検査も当然できない。

もし誰かに施術しろといわれても、たぶん普通のマッサージくらいしかできない。

マッサージする部位の選定も、たぶんうまくできない。

なんと一日以上感覚がストップ。

その状態で過ごしていると、ワタクシが日常にどれだけたくさんの事を調べているのかよくわかった。

道を歩いているときでさえ何かの検査をしているのであります。

例えば

「今日くるあの人の調子はどうかなー」

とか、

「今日の教室ではどんな話をするべきかなー」

とかを調べたりしている。

調べるべきことは、すごくたくさんある。

おそらく普通の人からみれば、狂人。

完全に異常。

でもそれがワタクシの日常。

その日常が、昔何もわからなかったワタクシの日常に逆戻りした。

なんか奇妙。

あ、そうだった、今は分からないんだった、の連続。

半日くらいして徐々に慣れてくると、その方が平和な気がする。

なんだか「するべき事」が何もなくなったような感じ。

そして、昔と決定的に違っている自分に気が付いたのであります。

それは

「ほとんど何も考えていない」

ということであります。

おそらく昔のワタクシなら、色々な事についてあれこれと考えていたように記憶している。

でも今は

「やるべきこと」

を抜きにすると、何もなくなってしまったかのよう。

自分がいて、単に時間が過ぎているような感じ。

なかなか、いい。

おそらく、「無」の意識状態の訓練がすすんだので、雑念が出てきにくくなっているのであります。

そんな時にふと思い浮かんだ人がいる。

その人の雰囲気は、これまでに会ったどんな人とも違うようだった。

ワタクシ的には「自由」を体現した人のように見える。

本当の「自由」の味を知っている人は、たぶん世の中にはほとんどいない。

もちろんそれは

「自分自身からの自由」

であります。

うまく言い表せないけど、すごく魅力的。

ワタクシもそうでありますが、多くの人は何かにがんじがらめになって生きている。

その人をみると、そうでないのがよくわかる。

今まで会った人の中にも、「内なる静寂」を感じる人が何人かいた。

一見して

「中性的」

みたいなのを感じる。

そんな生き方に少しはワタクシも近づいているかもしれない。

でもそれは「自由」からはまだ遠い。

それは普通の人より、感情や思考が減っているだけ、かもしれない。

「自由」な人からは、もっと違った雰囲気が伝わってくる。

それは、「楽しそう」。

そしてそのエネルギーは、単に座っている時にも全開になっているようだ。

楽しく話している時だけ、ではないのであります。

それは驚異的。

そこには、ワタクシが知らない「何か」がある。

でもなんとなく、意識のどこかで、それがワタクシにも分かりかけている。

それはまだふわふわした感じで、はっきりしない、言語化できない。

「自由」な人に聞いた。

「それを理解できていないのです」

すると

「それは理解するようなものではありません」

だって。

なんか素敵。

ワクワクする。

「それです、あなたの探しているものは」

と、人ではない「だれか」がささやいたような気がした。

ワタクシの今後の旅は、そっちに向かっていくようであります。

楽しい毎日に、感謝。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、ゴータマ殿!