先日ようやく指に入っていた金属を抜いてもらいました。
思い切り串刺しているのですから、抜くときもそれなりの力が込められてしまう訳でありまして、まさに
「ズボッ!」
って感じでありましたですね。
いやぁーめでたいめでたい。もう二度と入れたくないものであります。
その数日後、ぐるぐる巻きになっていた包帯を外して、もはや何も入っていない薬指の全貌があらわな状態に。
するとなんと!
「まっすぐに、なって・・・・ない!? ぐふぅぅぅ!!」
指が完全には伸ばし切れていない状態であります。
おじいさんの腰のようにまがっちゃっているのであります。
でもま、仕方ないのだとか。およそ10°くらい曲がった状態が腱断裂治療の終了形態として普通だとのこと。
担当の理学療法士さんに聞いてみたところ、まだ完全には切れた腱がつながりきってはいないのだそう。
何かの拍子にまた切れてしまわないよう、過保護にしておくのであります。
そしてワタクシはこのような仕事をしておりますので、独自に指の調整をはじめているのであります。
術後の状態は、骨や筋肉や関節などに、うまくエネルギーが通っていないようでありました。
こういう不具合には、リハビリよりもワタクシの調整の方が効き目がよいようであります。
念入りに調整して伸ばす方向に意識を向け続けていると、「おぉ、だんだんまっすぐに!!」
ありがたやありがたや、まだまだ可能性はあるようでありまするね。きっと完全にまっすぐな状態にまで回復させられると信じています。
それにしても、両手が普通に使えるというのはなんて便利なものなんでしょうか。
片手を濡らせない状態だと、手や皿を洗ったり、お風呂で体を洗ったりがうまくできないのであります。
いつもの動作を普通にできるだけで、本当に感謝しないといけないですね。
さてワタクシは最近、NHKで放送されている「不滅のあなたへ」というアニメをみているのでありまして。
内容は割愛しますが、まず見たことのないテーマを扱ったもので、不思議な内容ということだけで見ているのであります。
その不思議な内容のアニメに、先日はじめて「感動的なシーン」が描かれたのであります。
悲劇的でありながらも、一番大切なものを手に入れたことをかみしめる、とてもすばらしい場面であります。
そうなのであります。ワレワレはこころ動かされる、揺さぶられる機会を待ちに待っている「いきもの」であります。
何かに嬉しい驚きを感じたり、熱狂したりしたいのであります。
それ以外に、この世界にどんな意味があるでしょうか。
どんな意味もない、と言い切りたいワタクシでありますが、そのシーンを見て快感を感じながらも、不思議に沸き起こってきた感覚があります。
本当の快感はもっと別のものだというような深い意識からの声であります。
毎日結構長い時間を「無」意識にしているからでしょうか。何かがささやかに、わかりかけているような感じがするのであります。
こころ揺さぶられているときに、深い意識の中でなにが起きているのか。
みなさんにもぜひ、考えてみて頂きたいと思います。
おそらく何回か先の投稿のなかで、これについては書いていくことになると思われます。
それにしても、悟り方について書いてあるサイトの、書いている人の心理状態を調べると、とてもしんどい人が多いようであります。
しんどいから深い探求を始める、ということになるのでありましょうか。
であるならば、つらさも何かの糧になっているということでございますね。
良い体験に感謝を。今ある課題に歓迎を。つらい体験を乗り越えた自分に祝福を。