壊れた「関係性」

先日、ワタクシのソウルメイト殿と日本料理屋さんに伺いました。

上質・上品・雅(みやび)な晩メシであります。

いえ、「メシ」などという言葉はそこでは存在しないのかもしれません。

今頃の暑い時期になると、「鮎」は結構お目にかかる食材であります。

が、そのお店ではこれまでに見た事がない、まさに「映える」盛り付けがなされていました。

やはりこれは、「メシ」と呼んでいいようなものではなさそうであります。

さて次の日、上本町のあたりに出張っていたワタクシは、「天下一品」でラーメンを食べていました。

ジャンキーなワタクシは、月に一度はここのラーメンが必須であります。

といいましても、ここのラーメンは「こってり」はしているものの、実際には全然ジャンキーな食べ物では「ない」のであります。

ワタクシの怪しげな検査においても、ちゃーんと「体にプラス影響」という結果が出ているのであります。

で、並盛を平らげた後、ワタクシは久々に思案しておりました。

こんなところで思案といえば、

「もう一杯いく?」

くらいしか思い当らないのでございます。

前日にあまりにお上品なものを食べたからか、

「いっちゃう」

のサインがでてしまったようであります。

お昼の3時ごろの空いた店内で並盛のお代わりを告げると、店員さんは少し

「え?」

という顔で、聞き間違いでないか確認していただきました。

お会計の際には、

「2杯食べる君は、なかなか分かっているじゃあないか」

みたいな、なんとなく店員さんの機嫌も良かった感じ。

でもやっぱり、2杯食べちゃいけませんでしょう。

おそらく、あっさり系ラーメン3杯に相当する食べ応え。

お腹の中が、麺とスープですごいことに。

おおむね年に一度くらいやってしまう判断ミスであります。

「うまいメシを適度な量で」

みなさまもどうか、お気をつけて。

さて、最近になってワタクシは、2回目以降の施術内容の重要性について考えるようになっています。

といいますのは、ほとんどの患者さんに有効と思われる組み立てで一度やってみて、もし成果が薄いようであれば、少し細かく慎重に調べつつ2回目に臨む。

おそらく9割くらいの患者さんにはその時点で症状にある程度の改善がみられると思われます。

が、残りの患者さんについては、その後通常やらない検査を加えたり、検査時の体位を考慮したり、日常生活での状況を想定したりなどいろいろな事をやっても、ひじょーに改善率が悪いのであります。

理由の一つは、おそらく施術対象のピントがずれていること。

具体的には、体の症状でありながら実際には精神面の深い部分へのアプローチが必要なケースが考えられます。

つまりその深い部分の問題をうまく感じ取って施術対象にすることができていない。

精神面へのケアは施術の中にはかなり組込んできているのでありますが、一定以上の深さになると、もっと別の手法が必要な感触であります。

もう一つの理由は、どこかの構造が壊れている場合に、そこだけをケアしても改善させられない様態があること。

この場合、壊れている部位と、どこか他の部位との間の「関係性」が損なわれている可能性が考えられます。

この「関係性の修復」を念頭に施術してみると、ごくありふれた損傷においても、その損傷自体を回復させるようなこれまでの手法はほとんど必要がない上に、効果が高く、施術も短時間で終えられる結果が出てきています。

これはつまり、どこかを痛めたときに体自身がうまく治せないのは、壊れた関係性を回復させられないことが最大の要因と考えてみる必要性を示唆しています。

体の構造はどんな部位でも、他のあらゆる部位と関係性を持っています。

この関係性さえ維持されれば、体は自ずと治癒するのかもしれません。

この手法を精神面のエネルギーにもあてはめてみると、とてもナチュラルな形の回復を感じます。

なんだ、そうだったのか、であります。

でも、こういった思索は前にもやった事がありました。

その時はなぜか、上手くいきませんでした。

何かが足りていなかったのでありましょう。

おなじ所をグルグル回っているようで、少しずつ中心に?

そう信じたいものであります。

ということで今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、宇宙の真理殿!

有効率1%

先日営業の電話がかかってきて、

「姿勢や重心の位置などを測定して画像で表示し、患者さんの体の現状や施術の効果などを、説得力を持って・・・」

との営業トークを展開されましたので、

「必要ありまへぬ!」

といって切らせて頂きました。

そして、そういった

「施術の効果や価値をうまく患者さんに伝える」

という方法などで患者さんに継続的な通院を促そうと考えていた頃のことを思い出しました。

確かに、難しい症状に対処しようとするとき、ある程度長い期間ケアが必要出る旨、患者さんに上手く伝えた方が良いと思われます。

でもワタクシには、どうもそういった方向性の努力ができないようであります。

なぜできないのかといえば、患者としての自分の目線から見て、それが本当に大切なようには思われないから、ということであります。

基本気が短いワタクシとしては、明確に、劇的に効くような物を提供してもらえたら一番有難いということなのでありまして、勝手ながら、みなさんもそうだろうとの決めつけであります。

そして、本当に価値のある施術なら、通院を促さなくても、勝手に患者さんがやってくると信じているのであります。

とはいえ、毎回劇的効果を発揮するような施術システムが出来上がっているとは、簡単に言えるようなものではございません。

なるほどね、だから他の治療院はそっちの努力でやってるのかぁ、と納得でありまするね。

であるのに対し、ワタクシの説明ときたら単なる妄想・非現実的・受け入れ困難の極地と言われても否定は困難。

適切に判断するなら、方向性が間違っているような気も。

でも仕方ないのであります。

ワタクシはワタクシのやれる努力をするしかありません。

本質的とは思えない努力をしないと患者さんが来ないとしたら、単に施術が下手ということでしょう。

「あらやだ、また予約の電話? 患者さんが多すぎてこまっちゃいますわぁ」

とか言ってみたいものであります。

さてワタクシはまたまたまた、治せない患者さんと出会って、四苦八苦しているのであります。

一見単なる痛みのようでありながら、非常に手強い症状であります。

あるとき、その人の症状に関わる、解決すべき体の問題に対して、ワタクシのアプローチの何%が効果的に作用しているのかを調べてみました。

もちろんそんなことを調べてみようと思ったのは初めてであります。

するとなんと、1%以下であるという結果になりました。

ちなみに、普通の症状であれば80%は超えているようであります。

その患者さんはうち以外にもいろいろな治療院でケアを受けてきたそうですが、その中にも1%を超えたものはなかったようであります。

でもそれならば、本当に効果的なアプローチを探し出せばいいのであります。

ということで、例えばどこかの組織を「ぐいっ」と押す前に、その行為が本質的な意味合いを持つ操作なのかどうかを調べることにしました。

毎回調べていると、その患者さんの「芯」に刺激が「入る」感覚をワタクシの脳みそが覚えてくれたようであります。

これまで、「入る」部位を探し出すのにとても手間がかかっていましたが、慣れてくるとダイレクトに探し出せるようになってきました。

脳みそはなんてかしこいのでありましょう。

そしてこの「入る」部位を探していくなかで、難しい症状の場合には、これまでは想定していなかったところからも「入る」ポイントを見出さないといけない事が分かりました。

それは例えば、胎児のときのその人のボディだったり、過去の出来事での精神的トラブルだったり、動物との霊的因縁だったりするようであります。

であるならば、通常のケアが効かないのも納得であります。

とはいえ、こんなことまでやることが本当に必要なのかどうかも、ひじょーに怪しい。

ってか、怪しすぎる!

やっぱ、ギャッと手で押して調整して、それで終わりにしたいのが本音であります。

なにしろ、それが一番手ごたえがあって、やっているワタクシも納得のアプローチでありますから。

でもワタクシが昔お世話になった先生は、

「神の言葉を唱えれば全部治る」

という結論に達した模様。

ま、まぁ、そういうのもありえるのか。

いえ、決してワタクシはそんなきわどい世界に行きたくはございません。

ごく普通にやって、なおかつ難治症状も回復させる方法は?

と考えておりましたところ、誰も想像もしていない組織にその可能性が。。

触って調べることは出来ないということを除けば、調べたり刺激を入れるターゲットとして考えると、ヒジョーに使い勝手がよろしい。

そして難病の人の辛い状況がとてもはっきりと把握できてしまいます。

もはや筋肉も骨も硬膜も臓器も脳も脊髄も、これまで重要と思ってきた組織のすべては、枝葉末節にすぎなくなりました。

そして、やっぱり人体はどこまでも不思議にできていると思わずにはいられないのであります。。

この不思議さへの理解をもって、難病・難治症状をズバズバ回復させていくとしましょう。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、宇宙開闢のエネルギー殿!