ぎっくり腰の原因は内臓疲労?

今日は定休日なので、午前中にテレビをつけると、ワタクシの母校野球部と強豪・履正社高校の試合をやっているではありませんか!

用事で最後までは見られなかったのですが、同点で迎えた5回あたりの攻撃で、一死2,3塁からまさかの走塁ミス2つでビックチャンスを逃し追加点ならず。

さきほど帰ってきて確認すると1点差で負けていました。

今年は8強まで勝ち進んだので、それだけでもあっぱれなんでございます。

でも「勝って当たり前」と思っている学校は本当に手強いです。

大阪桐蔭でも、スコア的にぎりぎりの試合もたまにありますけど、それでもやっぱり勝ち上がってきます。それが「当たり前」の力だと思います。

ワタクシの代も結構強いチームでした。

でも8強をかけた試合の前に、誰かが言いました。

「テレビに出てみっともない試合は嫌やな」

当時は8強以降の試合はテレビ放送が決まっていたので、そのことを言った訳です。

で、結果1点も取れず負けました。

毎年夏の予選が終わると3年生は引退なので、負けた試合の後、監督からねぎらいの言葉を頂くのが恒例。

でも、ワタクシドモの時には「お前たちは勝つ気がなかったんじゃ!!」と大目玉をくらいました。監督の言ったとおりです。

「勝つ」ということに意識を集中できていたら、負けるにしてももっと違った試合になったのではと思います。

認識が未来をつくる、そう思います。ですから皆様、日ごろからよりよい認識を。

さて最近ぎっくり腰でこられる人が多いので、久しぶりにぎっくり腰について書いてみようと思います。

ぎっくり腰は一過性にどこかの臓器がひどく疲れた時に引き起こされます。

ですから原因は臓器の疲労と言っても良いのであります。

骨格や関節ばかりに注目している施術者の場合だと、どこそこの関節の動きが低下して、といった説明になると思われますが、関節の不具合は言ってみれば

  • 臓器が疲労する
  • その臓器と関係の深い筋肉が働かなくなる
  • 関節にかかる筋力のバランスが過剰に悪くなる
  • 結果関節が動かなくなる

という機序でありますから、臓器の疲労の「結果」とも言えるということになります。

ですから当然ながら関節に対するアプローチよりも臓器への方がより本質的なケアになるということなのであります。

ただワタクシの場合はもう結構まえからなのですが、ぎっくり腰治療の主力は臓器ケアではなくなっています。

じゃあ何が主力なのかといえば、おそらく「生命力を上げるアプローチ」ということになるのであります。

「おそらく」とはどういう意味ですかと聞かれそうですが、今の施術スタイルは患者さんの身体が要求した通りにやるだけなので、ワタクシにもやっている操作の意味合いが分からないこともある、ということなのであります。

話を戻しまして、結局のところぎっくり腰になってしまう人の大半は、全身的に元気がなくなっていて、ちょっとした気温の上昇などの変化に適応できなくなっていることで、臓器も極端に疲労してしまうということなのであります。

ワタクシ自身もずっとそうだったのですが、全身的に元気が足りていない状況に、自分では意外に気が付いていないのであります。

でありますので、「なんで急に腰が・・!?」といった受け止め方になります。

そういうことでありますので、腰を痛めたことを良いきっかけにして、体調管理にもう少し気を付けていただきたいのであります。

ワタクシの場合、体力を感覚的に数値化しており、以前にも書いた通り、元気の良い人は800以上あります。

ぎっくり腰で来られる人の多くはこの数値が100未満にまで落ち込んでいます。

なぜ落ちこんでいるのかについては人により理由は異なりますが、多くの場合単純な方法で解決できます。

それは、一定以上の運動を定期的にすることです。

この方法が一番手っ取り早くて、自分でできる対策で、お金もかかりません。

しんどいのは嫌だけど、お金はかかっても良い、という人であれば、月に一度、当整骨院にメンテナンスを受けにきて頂くのが簡単で、ワタクシも儲かって申し分なしの方法です。

実はこの方法が、いろいろな病に対する予防としても超おすすめ自画自賛の対策なのであります。

というわけでありまして、今日は営業的投稿でありました。めでたしめでたし。

世界の見え方

今日、院内の改装が終わったとの知らせをうけて、早速治療院へ。

第一印象は

「き、黄色い・・・!?」

という感じでしたが、全体的に見て、とても気持ち良くなったように思います。

当院をご利用の方は、何が黄色いのかご確認ください。

きっと「確かに」と思われるはずです。

さて、とうとうオリンピックも始まりまして、柔道などで素晴らしい結果が出ておりますですね。

ワタクシなんぞはスポーツ観戦はひじょーに大好物でありますので、LIVEで競技をやっているというだけで、なにかテンションが上がったような気がするのであります。

一方でまたまたコロナ感染が拡大しておりますので、ワタクシも早くワクチンを、と考えているわけであります。

指に入っていた金属を抜いてから時間も経ってきて、指の状態も結構回復してきた感触があります。

抜かりなく自分でも調整しておりますので、リハビリ担当殿からは、「経過はかなりよいです」との評を頂いておりますので、一安心なのであります。

懸案が一つ片付いたということで、心理学の知識吸収にも、若干力を入れていく訳であります。

何しろ、amazon primeで「蒼穹の剣」なるドラマを発見いたしまして、45話見終わるまでは全部の時間的余裕はそちらに消費されてしまうという展開でありまして、ですから「若干」。

いえむしろ、「今後」が正しい表現でございました。

それでも、ようやくユングやらフロイトやらいう御仁達のやっていたアプローチについて、理解し始めているところなのでありますが、その内容は言ってみれば

「物事への歪んだ理解・捉え方を書き換える」

ということなのであります。

例えばオリンピックに出ておられる方々は、

「競技に勝つとうれしい、勝ちたい」

という認識は、おそらく全員持っておられると思います。

そうでなければ、過酷なトレーニングをして、そして人生を賭けてまであんな大変なことには取り組めないでしょう。

世の中には、勝ち負けにほとんど興味がないという人たちも結構少なくないようでありまして、その価値観には「スポーツ全般に興味がない」という認識もくっついていることが多いように思われます。

もしスポーツに興味ゼロなら、このコロナ禍でオリンピックなんてありえない、という意見になりやすいと思います。

どんな意見や判断にも、前提条件としての「物事への理解の仕方」が影響を強く与えています。

その理解の仕方が仮に完全に間違ったものなら、なにかの状況でトラブルの引き金になったり、人生を意味なく困難なものにしてしまうことが想像されます。

すでにトラブルが起きていて、日常生活に支障をきたしている場合、心理的アプローチで「うまく書き換えましょうね」という方策もあるということになります。

ただ現在の日本で行われている古典的なこれらのアプローチには、かなりの時間がかかるようで、どうやら数年というケースも少なくないようであります。

そういう困難さもあるからか、「理解の間違い」自体でなく、それにより引き起こされる様々な強いストレスに対して、「表面的なケア」だけを薬剤などで行っているというのが概ね今の日本での心理ケアということになるのかもしれません。

このあたりの事情としては、ワタクシの摩訶不思議心理アプローチにおいても、表面的なケアに終始してしまうケースが結構あります。

それが何故かと言えば、「間違った理解」を引き起こすのは、何かの出来事で引き起こされた「強い感情のエネルギー」だけではないからと、今のところ考えられます。

例えば家族単位で、何かへの理解が間違っている場合は少なくないかもしれません。

もちろん、国家レベルでの、もしくは人類レベルでの間違った理解も十分想定されます。

そういったものは、幼いころからの反復した「意識への書き込み」により形成されているので、対処はとても困難になると思われます。

「あたりまえのものを、あたりまえと思い込まない」という単純なスタンスも、自分へのケアとしては効果があります。

が、ワタクシのように、誰かにセラピーを行う場合、もっと効率の良い方法が必要になります。

「間違った理解を引き起こしているもの」が強いエネルギーでないのなら、今のワタクシの手法では完全にお手上げであります。

なぜなら、ほとんどすべての問題を、エネルギー的に把握して対処しているからであります。

それにしても心理のケアを学ぶのは、肉体面への手法を学ぶより、ずっと楽しいことのようであります。

ワタクシの進む方向は、やはりそっちなのでありましょう。

「無」と「心理学」。そろそろ良い方法をおもいつきそうであります。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王殿!

心揺さぶられる快感

先日ようやく指に入っていた金属を抜いてもらいました。

思い切り串刺しているのですから、抜くときもそれなりの力が込められてしまう訳でありまして、まさに

「ズボッ!」

って感じでありましたですね。

いやぁーめでたいめでたい。もう二度と入れたくないものであります。

その数日後、ぐるぐる巻きになっていた包帯を外して、もはや何も入っていない薬指の全貌があらわな状態に。

するとなんと!

「まっすぐに、なって・・・・ない!? ぐふぅぅぅ!!」

指が完全には伸ばし切れていない状態であります。

おじいさんの腰のようにまがっちゃっているのであります。

でもま、仕方ないのだとか。およそ10°くらい曲がった状態が腱断裂治療の終了形態として普通だとのこと。

担当の理学療法士さんに聞いてみたところ、まだ完全には切れた腱がつながりきってはいないのだそう。

何かの拍子にまた切れてしまわないよう、過保護にしておくのであります。

そしてワタクシはこのような仕事をしておりますので、独自に指の調整をはじめているのであります。

術後の状態は、骨や筋肉や関節などに、うまくエネルギーが通っていないようでありました。

こういう不具合には、リハビリよりもワタクシの調整の方が効き目がよいようであります。

念入りに調整して伸ばす方向に意識を向け続けていると、「おぉ、だんだんまっすぐに!!」

ありがたやありがたや、まだまだ可能性はあるようでありまするね。きっと完全にまっすぐな状態にまで回復させられると信じています。

それにしても、両手が普通に使えるというのはなんて便利なものなんでしょうか。

片手を濡らせない状態だと、手や皿を洗ったり、お風呂で体を洗ったりがうまくできないのであります。

いつもの動作を普通にできるだけで、本当に感謝しないといけないですね。

さてワタクシは最近、NHKで放送されている「不滅のあなたへ」というアニメをみているのでありまして。

内容は割愛しますが、まず見たことのないテーマを扱ったもので、不思議な内容ということだけで見ているのであります。

その不思議な内容のアニメに、先日はじめて「感動的なシーン」が描かれたのであります。

悲劇的でありながらも、一番大切なものを手に入れたことをかみしめる、とてもすばらしい場面であります。

そうなのであります。ワレワレはこころ動かされる、揺さぶられる機会を待ちに待っている「いきもの」であります。

何かに嬉しい驚きを感じたり、熱狂したりしたいのであります。

それ以外に、この世界にどんな意味があるでしょうか。

どんな意味もない、と言い切りたいワタクシでありますが、そのシーンを見て快感を感じながらも、不思議に沸き起こってきた感覚があります。

本当の快感はもっと別のものだというような深い意識からの声であります。

毎日結構長い時間を「無」意識にしているからでしょうか。何かがささやかに、わかりかけているような感じがするのであります。

こころ揺さぶられているときに、深い意識の中でなにが起きているのか。

みなさんにもぜひ、考えてみて頂きたいと思います。

おそらく何回か先の投稿のなかで、これについては書いていくことになると思われます。

それにしても、悟り方について書いてあるサイトの、書いている人の心理状態を調べると、とてもしんどい人が多いようであります。

しんどいから深い探求を始める、ということになるのでありましょうか。

であるならば、つらさも何かの糧になっているということでございますね。

良い体験に感謝を。今ある課題に歓迎を。つらい体験を乗り越えた自分に祝福を。