しばしば患者さんから聞く、困っていることの一つは
「夜に眠れないこと」
であります。
たしかに夜には眠った方が医学的にもいい。
でも、
「~して当たり前」
という思い込みで苦しんでいるだけ、という人もいるかもしれない。
別に夜に眠れなくてもいいでしょ、というのがワタクシの考え。
このブログも、だいたい夜の12時過ぎから書き始めることが普通。
昔ライターだったころに、なぜか夜のほうが記事をかけたので、その習慣の名残もあるかもしれない。
次の日が休みともなると、ワタクシは夜中にがぜん「ウキウキ」してくる。
まだまだ起きていても、次の日に支障がないんだ、のウキウキ感。
ブログ書くのも結構好き。
書く内容さえあれば。
そう、記事を書くには「書きたい」と思えるネタが必要。
ワタクシの場合は「感情の動き」なくして記事は成立しない。
もしなければ、どうでもいい記事ができあがってしまう。
それに、悪い感情の動きは記事にしないことにしている。
もうみんな、悪い方向の情報はお腹一杯だからであります。
でも、良い感情の動きは限られる。
感激することはなかなかない。
なかなかない感激はそれゆえに、記事にならざるをえない。
だから昨今タオイストジャパンネタが多い、ということなのであります。
そういえば、タオイストジャパンのワークショップ等に5回参加して、だんだん理解してきたことがある。
参加するたびに何かの意味で泣いているワタクシなのでありますが、泣くと何かがゆるむ、もしくは自然な状態になる。
でも、時間がたつとまた元に戻ろうとする。
で、またゆるめる。
これを繰り返していると、もう前みたいには元に戻ってなにかが硬くなることがなくなってきている。
そう、長年の習慣は、体のものでも精神のものでもすぐにはリセットできないのであります。
本来の状態を「これがあたりまえ」と認識できるようになるまでに反復が必要。
でも効率よくそれを成し遂げる。
そういう意味合いを持つのがそこのセミナーであります。
と、余談がいつのまにか本題に?
話が元にもどりますが、会社勤めの人には夜更かしはおススメできないけど、年配の人なんかで昼寝もできる場合は、夜寝ることにこだわらなくてもよし、という話。
夜はやることがないんです、はまた別の問題。
さて、前回の投稿で予告した内容。
まず「OSHOカード」
伏せてあるカードを一枚引いて、そのカードの意味するところを教えてもらう。
ワタクシの場合
「CREATIVITY]
つまり創造性。
以前にある能力者に他の方法で見てもらったときにも創造性だった。
自分でいうのもなんだけど、創造性は旺盛と思われる。
ただあっちの人の言うとおりにしてるだけ、との意見もあるけど。
だけれども先生は、この言葉の背後にある
「破壊性」
について語られた。
ワタクシに対してだから、その一面を語られたのだと感じる。
確かにそうであります。
ワタクシは例えば旧態依然としたものは大嫌いなのであります。
「今までそうやってきたから」
あるいは
「みんながそうするから・・・」
もうそれは、最悪。
あぁ、こんなところでも前回書いた人間の酷さがでている、と感じる。
深いところから湧いてくる凶暴性。
そしてそれは、自分へのネガティブな認識からやってきている。
まだ攻略はできてはいないようであります。
さて
https://www.osho.com/ja/highlights-of-oshos-world/what-is-creativity
このサイトにあるOSHOの言葉は、また違った角度から[CREATIVITY]について語っている。
抜粋させてもらうと
「創造性を特定のものに限定してはいけない。創造的なのは人間であって、ある人が創造的なら、彼がなにをしようと、ただ歩いているだけでも、彼の歩みのなかに創造性を見ることができる。彼が静かに坐って、なにもしていなくても、そのなにもしないことが創造的な行為になる。菩提樹の下でなにもせずに坐っている仏陀は、世界がかつて知ったもっとも偉大な創造者だった。
それさえ理解すれば、創造的だったり非創造的だったりするのはあなた、人間だということを理解すれば、この問題は解決する。
だれでも画家になれるわけではないし、その必要はない。だれもが画家になったら、世界はとても醜いものになる。生きていくのが難しくなる。そしてだれでもダンサーになれるわけではないし、その必要はない。しかし、だれでも創造的になることができる。
なにをするにしても、それを歓びに満ちてするなら、それを愛情深くするなら、その行為が純然たる経済活動でないなら、それは創造的だ。自分のなかにそれから成長したものをもっているなら、それが自分に成長をもたらしたなら、それはスピリチュアルなもの、創造的なもの、神聖なものだ。
あなたは創造的になればなるほど神のようなる。世界中のすべての宗教が、神は創造主だと言っている。私は神が創造主なのかどうか知らないが、ひとつだけ知っているのは、創造的になればなるほど、あなたは神々しくなるということだ。あなたの創造性がクライマックスに達すると、あなたの全生命が創造的になると、あなたは神々しさのなかに生きている。だから神は創造主にちがいない。というのも、創造的に生きてきた人たちは神にきわめて近くなるからだ。」
どうですか、きちゃったでしょ? ズン、みたいなの。
このような言葉の後、もはや書くに足る言葉は皆無。
ということで、今回の記事はこれでおしまいにしてしまうのであります。
今後もたのみますぞ、みくまりの神様、不動明王様、ゴータマ殿!