明けましておめでとうございます。
世間はすでにごくあたりまえの日常にもどった感じですが、なんとなくまだ
お正月気分のワタクシであります。
合計5つの神社に詣でたのですが、なぜか神様のおられないところもあるように感じるので不思議ですぅ。
たぶん留守にされているのでありましょう。
初詣の帰りに、うなぎを食べに行きました。
ワタクシの実家は食べることに全てを注ぎ込んでいるような生き様でありますので、お正月はとくに大変な状況なのであります。
奈良の「大門」というお店で、もちろんワタクシの感覚で「一番良さそうなところ」を探して伺ったのであります。
店に入るとうなぎが入った桶があり、よくテレビで目にする様子でうなぎが泳いでいました。
そういえばこんな光景を実際に見るのは初めてであります。
注文して15分くらいでしょうか。うなぎ殿登場。
一口食べて
「え?かたい?」
と思ったのでありますが、同時に素晴らしい香ばしさが。。
ご主人いわく、有名店でも冷凍のうなぎを使っているところが多いのだそう。
うなぎの皮の側が硬かったのは、生きの良いうなぎをその場でさばいて調理すると、そんな感じになるのかもしれません。
皮の硬さに比べて身はふんわりで、「本当のうなぎのかば焼きってこんなんだったのか、なるほど!」
と感心・感激でありました。
さて、今年一回目の本題であります。
人間のエネルギーを体・心・魂・霊と便宜的に分けてその領域を示すと、このハンドメイド感たっぷりの図のようになります。
はりきゅうなどで扱っている経絡のエネルギーというか「気」なんかは体のものですから、その領域ももっとも狭い範囲になります。
経絡にも心理エネルギーの影響が、とかいう話はここでは放置であります。
体のエネルギーよりも心のエネルギーの方が外側に広がっており、そのさらに広い範囲に魂・霊という順序であるようであります。
ネット上でこの図を探して違法にコピペしようかと企んだところ、体が1番外側で、心・魂と内側に書かれている図しかでてこなかったので、初めて使うペイントソフトで1時間もかかって作ったのが先ほどの図なのであります。
あれに1時間。。いつもの気功教室ではホワイトボードに10秒で書いているのに、なんてことでしょうか!
時間よもどれー。たのむぅー。
で、体が一番外側なのはどう考えてもナンセンスであります。
よく、「こころの交流をはかって・・」とかいう文脈などがありますが、あれじゃあ交流も不可能でございます。
ま、なんせあの図のようだと思われるのであります。
気功の訓練を長年やっておりますが、
「ルートを開く」
とか
「チャクラを活性化する」
とかの表現はあっても、いまいちエネルギーのボディーに何が起きているのかを理解していなかったのであります。
というか、気功の専門家を名乗る方々も、実際には大して分かっていないからどこにも書いてくれていない、という恥ずかしい状況なのであります。
そんな中、気功教室の忘年会用に作成したスーパーグッズ
「上達速度2倍君(今とっさに命名)」
の作用を調べていて、いろいろなことがわかってきたのであります。
人は普段、体の感覚や感情などの心の動きだけを感じ取って生活しています。
ですから他のみんなが平気な「ある状況」に自分だけ腹を立てていたとしても、なぜそうなってしまうのかはほとんど分からないのであります。
本来の人間のエネルギー領域から考えると、とても狭い範囲で生きていると言えます。
でも、気功の訓練をやっているときには、魂の領域ぐらいまでの範囲でその内側のエネルギーが激しく交流するようであります。
そしてそれを続けていると、徐々に普段から感じ取れる領域が広がってくる、ということなのであります。
でありますから、これまで分からなかったようなことが少し感じ取れるようになってきたりするのであります。
ただここで、メリットだけでなくデメリットもあることが分かってきました。
それは「魂」領域の性質によるもののようでありますが、魂領域には普段意識していないような記憶とか、その人固有の生きていく上でのスタンスとかルール、哲学などの情報がぎっしり詰まっているようであります。
だれでも思い出したくないような記憶はありますが、その割合が高い場合、気功の訓練によってつらい感情が想起される、表面化してくる現象がおきます。
この現象はどうやらアルコールを摂取した時にも起こるようで、「飲んだら荒れる」人がいるのはそのためのようであります。
気功の訓練がアルコール摂取と違うのは、しらふでつらい感情が表面化してくるので、飲んだ時みたいに周りの人間に発散させられない、という点かもしれません。
こんな状況を毎日作ってしまっては、どんどん心理的に追い込まれてしまいます。
ですから、通常の気功の訓練は、やらない方が良い人もいる、ということになります。
魂から内側の領域のエネルギーを循環させても、いやな記憶は一向に解消されて行かないようであります。
ワタクシも段々賢くなってきておりますので、
「気功をやってみたい」という人が来た時、やった方が良いのかどうか調べるようにしています。
すると、結構高い確率でやめておくのが吉、という判断があっちの人からもたらされます。
じゃあどうすれば?という話になるのでありますが、それについては「無」の取り組みがヒジョーに大きな効果で、つらい記憶の影響力を無効化していってくれる、と現段階では考えています。
その作用は、無の意識状態が霊の領域をも超えて、自分の領域の外側からきれいなエネルギーを呼び込むことで可能になるようであります。
ということで、気功教室の内容のうち何割かを、無の意識状態にする訓練にあてる、というのがよさそうな方向なのであります。
それにしても、忘年会用のグッズを作った時、あっちの人に
「何か良さそうな物ないですのん?」
と聞いたらでてきたアイデアで、出来上がってから効果のでる仕組みを調べたということで、通常とは逆の順序で成果が得られています。
そういうことで、やっぱり自分の脳みそで考えるなんていうのは大した事ないんだな、と思わざるを得ないのであります。
ですから、何かが上手く行ったときにも、どこかで何かの有難い意図が働いているんだなと考えるのが、良い生き方のような気がするのであります。
ということで、このまま気功教室を続けていくと、今年中にでもワタクシの能力を圧倒する人が出てくるのではないかと期待したり恐れたりしているワタクシでありますが、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、宇宙開闢の力殿!