リアル・スピリチュアル

その部屋は、感じたことのない空気感だった。

霊的なような、神聖なような、それでいて密度の高い「強い」エネルギー。

そんなエネルギーは、どんな神社や寺院、パワースポットでもお目にかかったことがない。

座っていると、自分の周りが

「ぐぅ・・・」

と常に動いているようだ。

でも本当は、動かされている自分の中のエネルギーを感じているのかもしれない。

ここに、ヒーリングを受けに来ている。

ヒーリングとは何か、ワタクシはあまり分かっていない。

ワタクシができないようなアプローチ方法で、深い領域に「変化」を起こすこと、くらいに思っている。

ワタクシがやってきた理由は、「導かれている人」のいる場所だから。

ミラクル体験を目的とはしていない。

でも

「何かが起きる」

という予感は、あったのか。

その人のヒーリング、というか意識の誘導に最初、とまどった。

グラウンディングをうながされても、うまくできない。

ワタクシのエネルギーは通常、グラウンディングし続けている。

勝手に地球とつながっている。

でもなぜか今、それができない。

あるいはそれを、感じ取れない。

この部屋が特殊なのは確かだが、それが理由だろうか。

その状況に気が付いて、なんとなく緊張する。

だが次第にビジョンが見えてくる。

どこか知らない星に来ている。

姿がみえないが、誰かが近くにいるのが分かる。

気が付くと、動物のような、恐竜のような生き物が、どこへでも飛んで連れて行くよと音もなく言う。

どこへでもと言われても、知らない星でどこへいくのか。

そう思った時には、別の場所に来ている。

背中に乗っているシーンはなかったが、なにも問題はないようだ。

最後は砂漠のような景色のところに来た。

そこで別の場所でもらった布をしいて座っていると、誰かがやって来た。

フード付きのマントのような恰好なので、顔が見えない。

その人は前触れもなく胸からエネルギーを出すと、そのエネルギーをどんどん空のほうに伸ばしていく。

その、さほど大きくもないエネルギーに

「ハッ」

とした。

吸い寄せられるように「じっ」と見た。

その鮮烈な印象が場面を一時停止させる。

そしてなにかの「思い」が一気にこみ上げてくる。

「思い」がどんなものかわかる前に、なぜか涙が溢れてくる。

これまでに感じたことのない「思い」が涙を溢れさせている。

「思い」は複雑なものや混ざり合ったもの、ではない。

けれど言い表せない。

あの光景。

際立って純粋な「輝くエネルギー」と、あの人の確信ある動き。

それがワタクシの何かを呼び覚ましたのか。

「その人はあなたのハイヤーセルフでは?」

と「導かれている人」は言った。

そうなのかもしれない。

そのあと時間がたっても、あの光景を思い浮かべると涙が溢れてくる。

あの「思い」を表現することは、やはりできないようだ。

そして、これまで知らなかったエネルギーとの繋がりを感じる。

最近は宇宙人や惑星のエネルギーの話をしばしば聞いていたので、それらのエネルギーかと思ったけど、調べてみたらそうではなさそう。

あの人が、あの光景の中で使ったエネルギー。

その正体がなにかはまだ分からない。

でもそれが新しくワタクシにやってきたものでありました。

人が一番知りたいこと。

それは

「自分とは何者か?」

かもしれない。

それを知るために必要なのは、本当の自分を「感覚する」こと。

あのシーンがもたらしたものは、それだったような気がする。

もしそうならワタクシにとって、それ以上のスピリチュアル・ヒーリングはありえない。

スーパーヴィジョンによってはっきりしたのは、ワタクシの「道」でありました。

なにはともあれ。

ワタクシが本当のワタクシを生きる、始まりの鐘が鳴ってしまったようであります。

なんだか急に、ゆったりした気分。

もう何かを必死に探す必要はなくなったのであります。

何を探せばいいのかさえ分からず頑張ってきた日々は、こうして終わりを告げました。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、ゴータマの神殿!

感情の引き金

今朝起きると、聞きたくないニュースが飛び込んできた。

時の人、大谷さんの通訳を担う人物の事件。

詳細は知らないし、知りたくない。

単に思うのは、彼の置かれた特殊と言っていい状況が、彼の中の「何か」をおかしくしたのかも、ということ。

だれよりも身近な人を裏切ることになった悲劇。

一つの過ちが、彼の人生を破壊する。

でもそんなことは、誰にでも起きうるとワタクシは思うのであります。

物事に対して頭で理性的に、理論的に考えるよりも、瞬間的に湧き上がる感情の力が勝ることは少なくない。

感情のエネルギーを理屈で抑え込むことはなかなか困難であります。

理屈で考えて、自分自身を何度も納得させても、また同じ感情がやってくる。

それは感情のエネルギーが、意識の深いところにある記憶や認識により、なにかの拍子に反射的に引き起こされるから。

手で触れたものが熱かったときに

「熱っっ!!」

と決まって手をひっこめるのと同じように、反射的に。

この反射が重要なのは、反射により本人が

「なにを感じるのか」

が人により違うところ。

例えば今回の事件。

聞いて、自分が被害に遭ったわけでもないのに「怒る」のは普通、かもしれない。

でもおそらく、理想的ではない。

潜在意識がクリーンな人なら

「裏切られた大谷さんが可哀そう」

とか

「あの人、大変なことをしちゃったね」

くらいに、感じるような気がする。

怒りやネガティブな感情は、多くは親子間で、そして先祖代々受け継がれているかもしれない。

今の日本では、怒りや不安がまん延しているように感じる。

ワタクシにも怒りがまん延している。

どうでもいいようなことにさえ怒りを感じるのであります。

でも意識が深くなるにつれ、自分のそんな反応に、違和感がどんどん強くなっている。

ネガティブな感情が湧いてきたら、自分の中を調べる。

自分の中が、たんなる出来事をいらだちの原因に仕立てている。

それに気が付いたら、生き方が変わる。

意識を向ける方向が逆になる。

外から中へ。

そうなれば、どんな状況からでも人生を好転させられる、そう信じるワタクシであります。

やー、楽しくない記事であります。

話題はスピリチュアルなものにスイッチ。

ある人が言うには、昨日は

「宇宙のお正月」

だったそう。

それも通常よりもっと、大きな転換がおきるタイミングなんだとか。

ワタクシはそういうエネルギーの変化に、ひじょーに「うとい」。

何が変わったのか、全然分からない。

でも。

久しぶりに父の山登りに同行して、修験道のその山で、不動明王様にお参りしたときのことであります。

不動明王様の像を目の前にして、どうもしっくりこない。

ここじゃあない、とは以前も感じたことだけど、今回は放置できない感覚。

そういえば今回は、天候の悪さと遅い時間帯だったことで、付近に誰もいない。

誰もいないから、淡いエネルギーがよく分かる。

あっちの方か、と少し移動。

すぐそばだけど、行ったことのない辺り。

そこに

「鎮宅さん」

という祠。

なぜかそこに、不動明王様の強い感覚。

「こっちでありましたか」

ということで、何とも言えない満足感。

この出来事も、宇宙のお正月のせいなのでありましょうか。

ワタクシは基本的に、自分の感覚を重んじます。

感じないことは、否定しないまでもさほど意識しない。

でも、感じられたら面白いだろうとも。

面白いこと、そう、「うたげ」がもうすぐやってくる。

その集まりには、意識の深い人がごろごろいる。

意識の深い人に会うと、独特な感覚になる。

相手と自分の距離がなくなったような感じ。

たぶん、深い部分で相手と繋がる感覚であります。

普段会わない人でも、その感覚の中ではリラックスできる。

今回の集まりには、そんな人がますます増えているように予感する。

またきっと、ミラクルは起きてしまうのであります。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、ゴータマの神殿!

苦痛の産物

久しぶりの投稿であります。

ひと月ほど前、研修で行った北海道で歩いていると、猛吹雪で前が見えない。

土地勘のないところではGoogle map頼りのワタクシでありますが、スマホの画面も全然見えない。

おぉ、やっと見えた、と思ったら逆方向に歩いていたことが判明。

やばい、遅れる、と思って反転した瞬間すべって転んだとき、自分でもびっくりした

「イテッッッ」

とでかい声。

なんですか今のは?

痛みに耐えるための気合かしら。

奇妙だけど、まぁいい、とにかく急がないと。

その後研修先で整体を受けるも、打撲の痛みで効果の判定できず。

あんた一体何しに来たの?的展開。

でも問題はその後であります。

右脇腹強打の影響か、左肩に痛み発生。

それが何をやっても改善しない。

整体師の「こけん」にかかわる事態であります。

でありますが、実はワタクシの左肩は難物。

以前東京のレジェンド先生のところに研修に通っていたときも、ついでに治療を受けていたのでありますが、2年以上全く改善せず。

その後いつのまにか改善した古傷なのであります。

まぁ良い機会だということで、徹底的に調べてみたところ、

左肩周辺の骨の

「骨髄」

に問題ありの反応。

アプローチしてみたところまずまずの感触。

そんなところは通常調べない。

でも、人間の体はどこでも問題が起きる。

それがめったに生じない問題の場合。

施術は難航する。

しまいには

「どこを調べればいいのか?」

というこまった局面に突入。

実のところ、わざわざ北海道まで行ったのも、ワタクシにとって

「体の未知のメカニズム」

を見つけ出している人がいる、との観測に基づいてのことであります。

何しろ、知らない種類の不調は見つけようがないのであります。

これについての結論はまだ先にならないと分からないのでありますが、久しぶりに整体を受けてみると、新しい発想がいくつも浮かんできて驚いているところであります。

自分だけで探求するのも悪くないですが、やっぱり新しい風は必要。

多くの人が「風」を待っている。

どこか知らないところに連れて行ってくれるのを待っている。

ワタクシも待っている。

行きたいところはかなり決まってきている。

待っている「もの」も決まっている。

待つのはヒジョーに苦手でありますが、待つしか手がないものも。

もしあなたが

「わたしには一切風が吹かない」

と思うのなら、

「もっと自分自身を見るべき」

だとワタクシが思うのは、やはり超感覚カウンセラーH氏の影響。

昔のことを振り返る。

ワタクシは、父親によく叱られていた。

「隆行ちょっと来い」

と言われるたび、

「また怒られるんだな」

と思っていた。

でも不思議なことに、何を怒られていたのかあまり覚えていない。

覚えているのは、例えば野球の練習の成果が試合で出なくて気持ちが落ちているときに、その気持ちの弱さを

「なさけない」

といわれた事など、気持ちの部分への叱責。

ワタクシの親は理不尽な要求も体罰もなく、自分の受けた「しつけ」は肯定的に考えているワタクシであります。

それでも、ワタクシの内面には親が植え付けたと思われる

「縛り」

はたくさん存在しているようであります。

指摘されてみれば、確かに否定できない力がワタクシを支配しているのであります。

それを知って目を向けた今、それは「風」を生む熱になる。

ワタクシも、ワタクシをとりまく状況も、変わらざるを得ない。

やっぱり状況は自分の内面の反映だと思われるのであります。

何かを指摘してくれる人がいないなら。

自分で自分を見るしかない。

自分の気持ちの動き出す深いところを。

何も考えずにやっているいつもの行動にも、内面の動きが大きく関わっていることが少なくない。

例えばうちの治療院に患者さんが入ってくるとき、いつもと同じような動きをみんながする。

いつも明るく入ってくる人、かならず顔を伏せている人、毎回遅れるひと。

たんなる習慣にみえて、内面の反映は大きいのであります。

内面の動きに気が付いたなら、「風」はきっとやってくる。

もちろん自分の内面を自分ですぐに癒す術はない。

ワタクシにも癒せない重大問題はあるのであります。

この世で一番嫌なのは、自分の顔を見ること。

20年前に右目を失明すると分かったあと、徐々に瞳が透明ではなくなってきたと知った時の気分は忘れられない。

正直言って、さっさと死んでしまいたかったのであります。

今でも自分の姿を見ると、自分自身への評価が一気に0になるのを感じる。

単純にワタクシは美しいものが好きなのであります。

自分の顔を愛せないのはこの上ない苦痛。

意識を深く持てるよう訓練しても、まだ肉体をとても重要に捉え続けているのであります。

でも考えてみれば、この出来事をきっかけに真剣に気功を始めたわけでありますし、10年以上に渡り大した上達がなくても気功を諦めなかった理由なのであります。

これもワタクシにやってきた「風」なんでしょう。

苦痛ほど強い風はない。

それは、運命?

ワタクシはですから、気功教室であまり練習しない人は、

「練習するための理由がないんだな」

と思っています。

考えてみればそれは、幸いなこと。

一方で、熱心に取り組める人にはそれだけの理由があるのかもしれず、もしそうなら大変なようでもあります。

でもきっとそれは、本当の意味で行くべきところに誘う風。

風をぜひ、前進の原動力にしてもらいたい。

あの時の強い風に、複雑な心境ながらもワタクシは少し、感謝します。

そしてまだまだ、風はやってきそう。

あなたにも、できれば苦痛のない風がくるよう願います。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、ゴータマの神殿!