潜在意識の中の放棄地

今日はとても疲れております。

というのも、2日続けて同じ失敗をしたからであります。

「今回の発見で、もうどんな症状も治せちゃいますわよ、オホホホ」

なんて調子に乗っている時に限って、やり尽くしてきたような失態がぁ。

今回のんは、施術の最初に

「この症状を治せるのかどうか?」

を調べるのを怠ったがために起きたミスでありまして

「治せる」

とはっきりした答えが得られなくて、

「やや治せる」

とか、それにも満たない結果の場合、とても高い確率で精神面とかそれより深い意識の領域の問題で症状が引き起こされています。

ですから、「治せる」にならなかったなら、まずチャクラで精神の状態を調べてみます。

その結果うつ病の人と同程度の数値が出てきてしまったら。

これはもうやばいシグナルであります。やばいやばい。

通常の施術をしても、ほとんど成果が得られないリスクがあります。

そして。精神面に悪影響を与えている「現実の出来事」が現在進行形であるならば、ほぼお手上げなのであります。

もはやその出来事が過去のものになるまで待つしかない。

まさにゼロ回答なのであります。

そんなやばい案件に2日もつづけて突っ込むなんて。

骨折り損&患者さんにとっては症状が解決できず、まさに最悪の展開であります。

ヒジョーに長時間かかって施術した結果、あとから

「精神面の問題でした、治せません」

なんて言っても、だれも納得はしないのであります。

施術の前に、改善しない可能性が高い旨説明して、それでも施術してみるかどうか、判断してもらうのがスマートな仕事、できる施術者の姿であります。

はやくおろかなレベルを脱却しなきゃあいけまっせん。

ということで、行きつけのお店でやけ食いいたしまして、胃腸の調子までもがいまひとつのワタクシであります。

さて、前回の続きであります。

肉体面に存在する「放置された極地」と同じような問題が精神面にも存在するという話。

精神面に、時間をかけても癒しきれない記憶・認識・感情があります。

でも、もはや深くにしまい込んだような形で、大きな問題であるにもかかわらず、ケアを求めてこない「極地」であります。

どう考えても解決して取り除いて差し上げなければいけないでしょう。

そうしなければ、つらさが心理に表面化することはなくても、もっと違った形でその人の何かを制限し、縛ると思われるのであります

ということで早速解消してみることに。

なにしろ「無」により呼び込まれるエネルギーは、どんな問題も解決してくれます。

「現在進行形」以外ではありますが。

でもなんと、見つけ出した「心理の中の放置された極地」について

「ケアすべきですか?」

と聞いてみると

「NO」

となることもあるとわかりました。

そこで思い出したことがあります。

むかしオステオパシーのセミナーで感情面のケアの話になり、講師の凄腕先生は

「体性感情開放なんて手法もあるけど、いったん触れたら収集つかなくなって、クライアントの日常生活を破壊してしまう可能性があるので、私はそんなことはしません。」

とおっしゃったのであります。

そこでワタクシは

「じゃあ何もしないんですか?」

と質問したならば、先生のプライドを傷つけたのか、キョーレツににらまれてしまったのであります。

でもさぁ、そのとおりじゃあございません?

「そうです、なにもしません」という答えでオッケーでございましょ?

だれだってできないことはあります、神じゃないんだから。

腕が良くて講師をやっているような施術者には「お高くとまった」このタイプが結構いるので困ったもんであります。

でも、確かに「触れてはいけないところ」というのはあるようであります。

ただ、おそらく方法はあると思われるのであります。

何にでも順序というものがあります。

他の問題を片づけてから、ということだと推測しているところであります。

そして「ケアすべき」となって、この極地を解決した場合、やはり収穫は大きいと感じます。

そこと関連している症状が改善するだけでなく、いわゆる「運気」への影響力が強いようであります。

運と言えば、金運・健康運・結婚運とかいいますね。

これらの運気が高いかどうかは、潜在意識の中、日本人的にはいわゆる「魂・霊」の領域にどんな情報が収められているのかが決めるようであります。

辛い記憶、よくない認識、深くに刻み込まれた悪い感情が少なくなるほど、運気は上がるようであります。

だれでもより良い人生に向けて、頑張ったりいろいろと考えたりしています。

でも、そんな努力をも凌ぐ力で人の行き先を決めるかもしれないのが運気、言い換えれば潜在意識のあり方であります。

近いうちにそのあたりのことも書いてみようかと思う次第であります。

ということで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、大いなる宇宙の力殿!

見捨てられた極地

先日来られた患者さんが施術が終わったあとに、

「先生の(術式)はどういったものですか?」

と聞かれました。

なんて素敵な質問でございましょうか。

鬼滅の刃とか呪術廻戦に出てくるキーワードの「術式」。

ひと昔前の「必殺技」にあたるものでしょうか。

ワタクシも華々しい技が欲しいところであります。

目指すところは一撃必殺ですから

「無意識一点突き」

とか

「治らなきゃダメよアタック」

みたいな、一瞬で終わるのが理想的。

でありますが、現在の施術はいーろいろ調べたりあっちの人に聞いたりでひじょーにまどろっこしい。

とにかくもう、膨大なエネルギーをドバッっと入れるのみ、みたいな方向に自然と近づいて行ってくれるよう願っております。

そんな妄想を膨らませつつ、現時点の課題を考えておりました。

ワタクシの施術では全部の組織、全部のエネルギーを施術対象にしています。

例えば「リンパケア」をやっている施術者ならリンパだけを、骨格矯正なら骨格だけを検査しておかしいところをケアすればいいわけであります。

でも、それだとそれ以外の組織に原因があれば治せないことになってしまいます。

ですから、考えうるかぎり全部の組織を検査したいのであります。

もし全部を一つ一つ検査していたら検査だけですごい時間が必要になりますね。

ですから、

「ここが正常でなければまだどこかにケアが必要」

という要点をいくつかピックアップして施術対象を絞り込むことにも利用しつつ、全部が整っているかを確認できるように考えます。

この「要点」をどこに選定するかが決定的に大きな意味をもつので、よりよい「要点」を追求してきています。

もちろん心理や潜在意識のエネルギーの状態をも把握できる要点。

施術して要点の全部が「OK」になっていれば、もはやどこにもケアすべきところはないはす。

そう、ないはずなのであります。

が、なかなか完全にそうなってくれない。

患者さんが

「まだここに痛みが・・」

とかおっしゃるあたりを調べると、たしかにうまく動いていない組織がひょっこりと。

なんなんだこの「ひょっこりさん」は。

憎たらしい人、ひょっこりさん。

人間の体というのは、寝たりして止まっている状態でも、全部の組織は微妙に動いています。

このわずかだけどリズミカルな運動が完全に止まってしまっていたら、体にとっては大きな問題になります。

そこにはエネルギーが供給されておらず、体液の流れもとても悪くなります。

そんな問題部位をなぜ見つけ出せない場合があるのか、不思議だったのであります。

手で触れば簡単に見つけ出せるのにその異常が「要点」に反映されないのは?

そんな疑問にとうとう妥当な答えがみつかったのであります。

それは、あまりに回復が進まない所は、脳が意識しなくなるというもの。

体のエネルギー状態というのは、調子が悪くて回復させたいところに「高まる」ようになっています。

回復させるためエネルギーを集中させているわけです。

それが長期間続くと脳もその活動を放棄して、そこでエネルギーを浪費することをやめ、他のところを注視するようになります。

放棄された部位は組織が止まったままになり、「見捨てられた極地」になってしまうというわけです。

「要点」の状態に反映されないこの極地ですが、言ってみれば他のどんな場所より悪い状態です。

ですから、体をケアする際には最優先という位置づけになります。

であるなら、最初からそんな極地を効率よく探し出して狙い撃ちすべきでしょう。

で、どうやってそれを?と考えていたのでありますが、単純に

「極地はありますか?あるならどこですか?」

と患者さんに体とか、あるいはあっちの人に聞けばいいと分かりました。

あっさり解決。

と、ふと思い浮かんだのは、心理や潜在意識にも「ひょっこりさん」はいるのではないかと。

確認してみたら、やっぱりでてきたひょっこりさん。

こいつはぁ、とても重い意味を持つ展開になってきたではありませんか。

肉体面のひょっこりさんも確かに大きな意義をもちます。

が、人間はやはり心や潜在意識の生き物であります。

カウンセリングや心理療法でもなかなか探し出せない問題が、簡単に見つけられるとしたら。

と、今回の投稿は長くなってきたので、続きは後日に。あしからず。

気功の「デメリット」

明けましておめでとうございます。

世間はすでにごくあたりまえの日常にもどった感じですが、なんとなくまだ

お正月気分のワタクシであります。

合計5つの神社に詣でたのですが、なぜか神様のおられないところもあるように感じるので不思議ですぅ。

たぶん留守にされているのでありましょう。

初詣の帰りに、うなぎを食べに行きました。

ワタクシの実家は食べることに全てを注ぎ込んでいるような生き様でありますので、お正月はとくに大変な状況なのであります。

奈良の「大門」というお店で、もちろんワタクシの感覚で「一番良さそうなところ」を探して伺ったのであります。

店に入るとうなぎが入った桶があり、よくテレビで目にする様子でうなぎが泳いでいました。

そういえばこんな光景を実際に見るのは初めてであります。

注文して15分くらいでしょうか。うなぎ殿登場。

一口食べて

「え?かたい?」

と思ったのでありますが、同時に素晴らしい香ばしさが。。

ご主人いわく、有名店でも冷凍のうなぎを使っているところが多いのだそう。

うなぎの皮の側が硬かったのは、生きの良いうなぎをその場でさばいて調理すると、そんな感じになるのかもしれません。

皮の硬さに比べて身はふんわりで、「本当のうなぎのかば焼きってこんなんだったのか、なるほど!」

と感心・感激でありました。

さて、今年一回目の本題であります。

人間のエネルギーを体・心・魂・霊と便宜的に分けてその領域を示すと、このハンドメイド感たっぷりの図のようになります。

はりきゅうなどで扱っている経絡のエネルギーというか「気」なんかは体のものですから、その領域ももっとも狭い範囲になります。

経絡にも心理エネルギーの影響が、とかいう話はここでは放置であります。

体のエネルギーよりも心のエネルギーの方が外側に広がっており、そのさらに広い範囲に魂・霊という順序であるようであります。

ネット上でこの図を探して違法にコピペしようかと企んだところ、体が1番外側で、心・魂と内側に書かれている図しかでてこなかったので、初めて使うペイントソフトで1時間もかかって作ったのが先ほどの図なのであります。

あれに1時間。。いつもの気功教室ではホワイトボードに10秒で書いているのに、なんてことでしょうか!

時間よもどれー。たのむぅー。

で、体が一番外側なのはどう考えてもナンセンスであります。

よく、「こころの交流をはかって・・」とかいう文脈などがありますが、あれじゃあ交流も不可能でございます。

ま、なんせあの図のようだと思われるのであります。

気功の訓練を長年やっておりますが、

「ルートを開く」

とか

「チャクラを活性化する」

とかの表現はあっても、いまいちエネルギーのボディーに何が起きているのかを理解していなかったのであります。

というか、気功の専門家を名乗る方々も、実際には大して分かっていないからどこにも書いてくれていない、という恥ずかしい状況なのであります。

そんな中、気功教室の忘年会用に作成したスーパーグッズ

「上達速度2倍君(今とっさに命名)」

の作用を調べていて、いろいろなことがわかってきたのであります。

人は普段、体の感覚や感情などの心の動きだけを感じ取って生活しています。

ですから他のみんなが平気な「ある状況」に自分だけ腹を立てていたとしても、なぜそうなってしまうのかはほとんど分からないのであります。

本来の人間のエネルギー領域から考えると、とても狭い範囲で生きていると言えます。

でも、気功の訓練をやっているときには、魂の領域ぐらいまでの範囲でその内側のエネルギーが激しく交流するようであります。

そしてそれを続けていると、徐々に普段から感じ取れる領域が広がってくる、ということなのであります。

でありますから、これまで分からなかったようなことが少し感じ取れるようになってきたりするのであります。

ただここで、メリットだけでなくデメリットもあることが分かってきました。

それは「魂」領域の性質によるもののようでありますが、魂領域には普段意識していないような記憶とか、その人固有の生きていく上でのスタンスとかルール、哲学などの情報がぎっしり詰まっているようであります。

だれでも思い出したくないような記憶はありますが、その割合が高い場合、気功の訓練によってつらい感情が想起される、表面化してくる現象がおきます。

この現象はどうやらアルコールを摂取した時にも起こるようで、「飲んだら荒れる」人がいるのはそのためのようであります。

気功の訓練がアルコール摂取と違うのは、しらふでつらい感情が表面化してくるので、飲んだ時みたいに周りの人間に発散させられない、という点かもしれません。

こんな状況を毎日作ってしまっては、どんどん心理的に追い込まれてしまいます。

ですから、通常の気功の訓練は、やらない方が良い人もいる、ということになります。

魂から内側の領域のエネルギーを循環させても、いやな記憶は一向に解消されて行かないようであります。

ワタクシも段々賢くなってきておりますので、

「気功をやってみたい」という人が来た時、やった方が良いのかどうか調べるようにしています。

すると、結構高い確率でやめておくのが吉、という判断があっちの人からもたらされます。

じゃあどうすれば?という話になるのでありますが、それについては「無」の取り組みがヒジョーに大きな効果で、つらい記憶の影響力を無効化していってくれる、と現段階では考えています。

その作用は、無の意識状態が霊の領域をも超えて、自分の領域の外側からきれいなエネルギーを呼び込むことで可能になるようであります。

ということで、気功教室の内容のうち何割かを、無の意識状態にする訓練にあてる、というのがよさそうな方向なのであります。

それにしても、忘年会用のグッズを作った時、あっちの人に

「何か良さそうな物ないですのん?」

と聞いたらでてきたアイデアで、出来上がってから効果のでる仕組みを調べたということで、通常とは逆の順序で成果が得られています。

そういうことで、やっぱり自分の脳みそで考えるなんていうのは大した事ないんだな、と思わざるを得ないのであります。

ですから、何かが上手く行ったときにも、どこかで何かの有難い意図が働いているんだなと考えるのが、良い生き方のような気がするのであります。

ということで、このまま気功教室を続けていくと、今年中にでもワタクシの能力を圧倒する人が出てくるのではないかと期待したり恐れたりしているワタクシでありますが、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、宇宙開闢の力殿!