今月の5日に、タオイストジャパンのダンスと瞑想イベントがあったので、名古屋まで行ってきました。
前日の4日には大阪でも開催されたのですが、土曜日は仕事なので、うちの教室の参加者と患者さんに参加して頂きました。
お二人のイベント後のエネルギー状態を調べると、予想通りの変化が起きていました。
つまり、「愛の秘力」が働き始めていました。
もちろんお二人にそのような変化が出やすい素質はあったのは当然でありますが、自分一人での取り組みでは、おそらくどんな高度なエネルギーワークでも成しえない成果が得られたのであります。
ワタクシも名古屋の会場にお邪魔して、踊っていろいろなものを発散しながら、イベントのといいますか、タオイストジャパンの目指す方向性のようなものを感じていたのであります。
気功の練習といえば、健康の維持や自分との対話であったり、エネルギー操作の習得、感受性の向上、さらには能力の開発というのが、目的として意識されやすい項目であります。
とりわけワタクシの教室では、「能力」というものに最大の関心を寄せた内容に、主催するワタクシの興味に沿って進めてきているわけであります。
でも、そもそも何のために「能力」を得ようとするのかを考えると、ワタクシの場合は施術者でありますから、現実的に、能力がなければ患者さんに良いケアを提供できないから、ということになりますが、一般の人にとってはそうではないでしょう。
「幸せ」に近づくため、と大雑把に考えても良いように思われます。
人生を幸せに送って行きたい、有意義に生きたい、というのであれば、「能力」というものが一番大事だとは言えないのであります。
「幸せ」に近づくために一番必要なものは、おそらく
「自分が与えられているものに感謝できること」
ではないかと、ワタクシは思うのであります。
でもそれが、難しい。
難しいのは、他者との比較からなのか、他者との距離からなのか、自己への不満からなのか、分からないけど難しい。
その難しさは、何かの能力を得ても、おそらくほとんど、解消されない。
気功の練習をして、自分自身と向き合うことで、いくらか変化は起こるでしょう。
でも、まだまだ足りないところがある。
その足りない部分を、タオイストジャパンが提供してくれる。
他者との関係性を効率的に、そしてダイレクトに、変化させてくれる。
そしてその変化が、自分自身への向き合い方を変えてくれる。
そのような取り組みには、「能力」は不要。
というよりむしろ、弊害になりえる。
ワタクシは教室をやりつつ、徐々に疑問に思うようになってきているのであります。
「技術」とか「能力」を追求してきたワタクシは、素質のある人が大好きなのであります。
それはもうほとんど、病であるかのようであります。
でありますから、気功を指導しながらもつい、進歩の早い人とか、ポテンシャルの高い人に注目しがちなのであります。
教える側の人間として、ひどい奴であります。
それでも教室をやり始めた頃と比べ、すごく強い関心を持つようになったことがあります。
参加者の皆さんが練習の中で意識を集中し始めると、通常の時よりもずっと、その人の「在り方」のようなものを感じるのであります。
どんな人にも、本来の「素」の状態になるのを阻んでいる何かを感じます。
それが強い人ほど、日常の中でも「自分を自分で制限している」のではないかと、想像します。
一見理想的に生きている人の中にも、意外に強く感じる場合があります。
当然ながら、制限はワタクシにも残されています。
そんな制限を、教室の中の取り組みでうまく減らして行けばいいのではないかと考えています。
そして今作成中なのは、
「愛の秘力を開くアイテム」
でありまして、天然石5つの組み合わせで作れるようであります。
秘力だから結局能力じゃん、と思われるでしょうが、そうでもないのが愛の秘力の凄いところであります。
愛の秘力が働きだすと、とても深い領域の感受性が得られるからなのか、生きるスタンスにも影響を与えるように思われます。
ワタクシの場合には、テレビで何かのエピソードを聞いたり、良い文章や歌詞をみたりするだけで、すぐに涙が出てきそうになるのであります。
そして物事を判断する際の視野が広くなったようにも思うのであります。
他者の心を開きつつ、自分自身も開いた状態にしてくれる、それがおそらく愛の秘力なのであります。
自分と周りとの間の壁をなくしてしまう事は、自分自身への制限をとっていくためにも大切なステップになると思われます。
そのアイテムを想像しながら、教室の参加者一人づつにどのくらい影響を与えるのかを調べると、「愛の秘力」の開きやすさが分かります。
残念ながら、あまり影響を与えられない人も少なくないようでありますが、すごく強い影響を得られる人もいるようであります。
ま、そういうグッズも使いつつ、今以上に幸せを感じて生活できるよう、教室を進めていこうと思います。
今日は前回の「視床下部」を調べる過程で分かった、整体領域での画期的発見について、たまには施術者としての内容を書こうかと思ったのでありますが、全然違う内容になってしまいました。
その内容は次回にでも。
というわけで、今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、名前のない神殿!