「ワタクシの施術には優しさがない」
それが最初の「気づき」。
どうしてそんなものが、否定できない確かさをもって、自分の中から湧きあがってきたのか。
それは今も、分からないのであります。
理解を超えたそんな体験を得たのは、例によって、代表TARIKAの率いるタオイストジャパンの合宿セミナーでのことであります。
7月半ばから原因不明の「やる気が出ない」状態が続いていたので、このままではまずいと思って参加を決めた、とことん自分と向き合うためのコース。
申し込んだあと原因が分かって、やる気は回復していたのですが、せっかくなので参加させてもらったのであります。
あのときのワタクシは確かに、普通じゃなかった。
二人組になって行うワークで、3回連続で相手から「ダメ」の判定。
しかもそれは、ワタクシの仕事に直接関わる内容のワークで、であります。
3回目の「ダメ」のあと、ワタクシの心理は、軽いパニックを起こしているようでありました。
一体自分は、何をやっているのか。
自分がやろうとしていることは、意味不明なものになってしまっている。
そう判断して、そのワークを一時、中断させてもらったのであります。
2分程度待って、冷静になったつもりでワークを再開してしばらくしてから、いきなり湧いてきたのが、この記事冒頭の「気づき」。
この出来事はでも、一つのワークから引き起こされたものではなかったと、今は思うのであります。
この日は合宿2日目。
初日は午後からスタートしたこのコースで、これまでにいくつものワークをこなしてきている。
様々なワークに取り組んで、すでに意識が揺さぶられてグラグラしていたからこそ得られた体験であります。
そういう意味で、普段の瞑想などで得られなかった「気づき」がおきたのは、偶然ではないのであります。
それにしてもひどい内容の「気づき」であります。
施術者にとって最も大切なことができていない、なんて。
そのことに打ちのめされながらも、コースは続いていく。
ワークをして、感想をみんなでシェアする。
深い思いを吐露する人もでてくる。
ワタクシも感じたことをそのまま話す。
みんなの前で話すことで、ワークで感じ取ったことがすごい速さで消化されて、次のワークへの布石となるかのようだった。
それが繰り返されていくと、徐々に全員の意識が繋がっていって、深まっていって、何かがいつもと違う様相になっていくようだ。
だけれども、その渦中にいれば、そのことにまったく気が付いていない。
そして3日目の朝、激しいワークをしている最中に、最初の気づきを踏み台にして出てきたのは、
「自分が何者なのかを誇示せずにはいられない」
というもの。
そしてそれは、どんな時でも、衝動的に、制御できない強さで、自分を支配している。
例えばこの合宿においても、
「単なる参加者A」
でいることは、ワタクシの中の衝動が許さない。
ワタクシの中の何かを誇示しなければいけない。
施術に優しさがないことも、これならば納得であります。
なぜなら施術において、自分のスキルや能力を誇示しなければいけないから。
優しさをもって触れるようなゆとりは、皆無であります。
なにかにつけて、一歩前にでること。
それはワタクシの個性であり、長所でもあると思っていました。
男のワタクシは、そのことで批判を受けた記憶もおそらくないのであります。
でも。
制御できないものは、
自分に過剰な負担を強いる。
他の行動を選択できなくする
本当の自分を感じることから遠ざける。
そして。
この人生での自分の可能性を、奪う。
ワタクシという存在のあまりに近くにずっとあって、これまで気が付かずにいた衝動。
それが分かって、合宿から帰ってきた後も、ずっとこのことを考えていたのであります。
完全に消化できるまで、ワタクシの中の動揺はおさまらない。
そのあと、合宿の仲間とZOOMで話していると、その仲間はこの衝動について違う角度から捉えて言ったのであります。
「そのやり方でしか、人と繋がれないんだよね」
・・・
ま、まぁ、そうやね。その通りや。
それを否定できる材料は、ない。
同じことについて理解するにしても、見る方向によって、景色は変わる。
あぁ、それにしても、なんてことだろう。
下品で軽薄な、ワタクシが最も嫌いな人物像。
それがワタクシであります。
それに気が付いて、自分の全部が止まったかのようだった。
自分自身のことは意外に分からない、と言ったりする。
でも心のどこかでは、うっすらと、分かっている。
表面の思考でのみ、分かっている。
衝動は、自分の奥深くからやってくる。
それを表面から見ても、大事なところが分からない。
自分が何かに支配されているとは感じない。
支配力が自分の行動を制限したり無理強いしていることに気づかない。
初めから1つしか選択肢がないのに、あたかも自分の意思で決断したように思っている。
「気づき」とは、衝撃的なもの。
奥深くで、言語を介さずに、感じることであります。
別の仲間が言ってくれた。
「本当の気づきって結構、かっこ悪いもんだよね」
もし他の人もそうなら、ワタクシは少し、自分を慰められる、かも。
さてワタクシはこれから、内なる衝動と向き合って、少なくとも制御可能な状態にしていくことを最優先に生きることになるでしょう。
自分ではうまく生きてきたつもりでしたが、錯覚でありました。
落ち込みつつも、清々しい気分であります。
もちろんそれは、自分の深い問題がはっきり分かったことへの気分、喜びであります。
今回ワタクシが参加したのは
「サンクチュアリ」
というコースであります。
このコースの内容については、具体的な描写はしないことになっているので、知りたい人はどうぞ覚悟をもって、参加してみてください。
みなさんにも、いつかどこかで、大きな気づきが起きるよう願っています。
ということで、久しぶりの記事でありました。
今後も頼みますぞ、みくまりの神様、不動明王様、宇宙開闢の力殿!