電車に乗っていると、ほとんどの人はスマホをいじっています。

 

ワタクシの座っている座席の、向い側の座席に座っている人たちが、全員スマホを手に持っていることもあるくらいです。

 

その光景はなんだか好きになれないのです。

 

というか、嫌いです。

 

なぜかっていうと、スマホからのある意味「どーでもいい情報」に振り回されて、我らが救世主・脳みそ殿が過労になってしまうからであります。

 

スマホからの多くの情報は、少なからず今現在の自分と関わりのある内容ですから、脳を緊張させます。

 

ゆったりリラックスできる状況にはしてくれません。

 

その点、同じ活字でありながら小説にはとても良い特性があります。

 

それは、別の世界に浸れるということです。

 

小説の中には、完全に隔離された別の世界が広がっています。

 

小説の展開がどうなろうと、「現在の自分」の状況には一切影響を及ぼしません。

 

その性質が意外なほど重要です。

 

小説の内容にもよりますが、リラックスと読後の満足を与えてくれます。

 

スマホで満足がえられるでしょうか?

 

得られないですね、通常。

 

特定の情報を得ようとしているときは最高のツールですが、「大して興味のない内容でも、なぜか読んでしまう」それがスマホやパソコンから得られてしまう情報の山です。

どんな道具も使いようですね。

 

 

さて、小説にでてくる主人公を見るように、自分のことを単なる一人の登場人物のように認識して生きていける方法があるようです。

 

それがよく耳にする「悟り」の世界だとか。

 

「悟り」とは、自分とそれ以外の存在が真の意味で同一だと認識できることだといいます。

 

ある書物によると、その認識に至らなければ、愛の本当の意味は分からないのだそう。

 

ワタクシ共の言っている「愛」はたんなる欲求にすぎないとのことです。

 

さて、何のためにこんな内容を書いているのかと言いますと、最近になってようやく、周りの人たちと自分との関わりが感覚的にわかるようになってきたのかも?と思ったからであります。

 

というのも、ワタクシには守護神やら守護霊やらは一切居りませんので、なんとか

 

「くっついてもらいたい!」

 

とのことで、どうやれば良いのかを潜在意識に聞いてみたのであります。

 

すると

 

「先祖に感謝しろ」

 

といった、ワタクシが一番苦手な取り組みを突き付けられてしまったのであります。

 

お婆ちゃんなんか、なぜか嫌いでありました。

 

でも、仕方なくやってみることに。

 

先日も新たに

 

「歓喜天」

 

を守護神に持つ人と会ったので、なんとか頑張らねば。

 

動機が不純ですって?

 

確かにそれは否めない。

 

でもま、やりたいようにやらなきゃ前に進めない、それがワタクシなのであります。

 

ワタクシの感覚では、なにかに守られている人というのは1割以下しかいないようです。

 

であるなら、なにかしらの意味はきっとあるのでございましょう。

 

ということで、患者さんの体に何かの問題を見つけた後、エネルギーをいれたらよいというタイミングがあったら、ついでにご先祖さまに感謝することにしたのであります。

 

するとこれがなかなか、悪くない感触。

 

おぉ!それならば、ということで、ついでに全世界の人たちに感謝することにしてみたのでございます。

 

やってみると、意外なほど強烈にエネルギーが入ってきます。

 

今まで感謝のない生き方をしてきたので、よけいに効果があるのかも?

 

でもしばらくやっていると、だんだんとそのエネルギーが自分自身のものに思えてくるのであります。

 

みんなに感謝することは、結局は自分自身に感謝することに、なってしまうようなのであります。

 

これは逆に言うと、誰かを攻撃したり非難したりすることは、自分を傷つけることに他ならないのかも。

 

それはなぜなのじゃっ?ですって?

 

それはつまり

 

「全部が一つだから」

 

でしょ。

 

あー、そういうことでしたかぁ。

 

なーるほどぉぉ、であります。

 

ニュースで凶悪犯とかをみて

 

「けしからん」

 

とか考えているのはおバカさんでした。

 

もっと賢くなりたいのであります。

 

お婆ちゃんも好きになりたいものであります。

 

好きになればきっと、力を貸してくれるでしょう。

 

ということで、今後は頼むね、おばぁちゃん。